カテゴリ: > 関西の旅

「舞妓はレディ」素敵でした。オードリー ヘップバーンの 「マイフェアレディ」を オマージュしながら 日本の良さを見せられた 素敵な映画でした。
なので ロケ地が 映画での 「下八軒」のモデルが 「上七軒」という事に 見当を付けて 地下鉄 二条駅から 歩きました。
二条駅から千本通を歩き 北西 斜めに 約1km 向かえば 北野天満宮の手前くらいに 上七軒は あるはずです。
思ったより 時間は かかりましたが 京都の昔ながらの北野商店街など ちょっと楽しめました。

地元の親父さんに 上七軒の場所を聞くと 車道を 注意して渡れば 目の前だから と教えていただき こんな感じの場所に。
うーん 雰囲気あります。

実際には この通りが 上七軒 です。

宿場町みたいな 上七軒が 現れました。
でも ちょっと 舞妓はレディ とは 違う感じです。

歌舞練場への門がありました。
こちらは 「北野踊り」の 上七軒だったのです。
夏から 9月までは お茶でなくて ビアガーデンになっているようです。残念ながら まだ お昼前だったので 開いていませんでした。
北野踊り を見るには 思ったより高いようです。幸い まだ開いていません。

舞妓さんは 一見さんのボクには ちょっと 敷居が高かったみたいです。




「上七軒」のついでに というのは 申し訳ありません。北野天満宮に付随して 上七軒があるのかと思います。
実際は 上七軒側から 横入りしたのですが 最初の鳥居から ご案内いたします。
立派な石畳みを進みます。
北野天満宮は 金閣寺の手前 平野神社の手前辺りです。
さすが 学問の神様 菅原道真公を 祀る天満宮なので 高校生らしき団体が 多かったです。
宝刀展が 人気のため 9月まで延長して行われていました。人気のアニメとのタイアップらしいです。
手前の休憩所で 一休みします。

驚いた事に この休憩所の屋根が 奉納された絵画が そこかしこに描かれていました。

ひょっとして 価値がある絵かもしれないです。


こちらは 豊臣秀吉の御土居の端だと知って お参りもそこそこに 御土居に向かいます。

5月の 青紅葉と 秋の紅葉の季節には 御土居が 有料観覧できるそうです。
どこが 御土居か わかりません。



どうやら 下を流れる小川からして こちらの道が 御土居であるようです。
いつの日か 紅葉を見ながら 御土居をゆっくり確かめたいですね、

このマイナーな観光地 島原。
最後は カフェ です。

カフェ&バー「きんせ旅館」
外観からは想像できない まさかのカフェです。最近の旅行スタイルは 出来るだけカフェで休まず歩き回るボクですが、琴線に触れるカフェは 入らざるを得ませんでした。
不思議空間です。
カフェ&バー「きんせ旅館」です。
靴のまま上がりにくい雰囲気ですが。
入り口を入ると なにやら不思議な部屋があって その先に こんなステンドグラス風なところが カフェです。

広い応接間のような部屋に テーブルと 色々な椅子 ソファーが 雑多に配置されて お一人 珈琲を飲んで 読書されていました。こちらのお部屋は 撮影できませんでした。
 (こちらの写真は ネット上からお借りしました ) 
喫茶店には見えません!
奥の部屋には カウンターがあって ようやく喫茶店らしい様子が見られます。
メニューが なんと原稿用紙の裏側です。
そう言えば 明治の文人たちも この島原には 通っていたそうです。
ミルクティーを飲みました。
不思議なお店です。食べログを引いてみたら 不定休で 夕刻から開店の中々来られないお店のようです。
小さな中庭が 見えます。
ゲーム類と 不思議な書籍が並んでいた。
トイレも 

ゆっくりして そろそろおいとまします。
「きんせ旅館」1日1組限定で 宿泊もできるようです。

この後 壬生という地名が見えたので 以前お邪魔した 新撰組壬生屯所へ向かいました。壬生なんとか町という地名なのに 予想外に 離れていました。


(続き ) 島原の 角屋の外観だけで かなり満足しました。
島原は 料亭と置屋が 別仕立ての珍しい遊郭だそうです。歩いた順番が 前後しますが まずは 島原大門から。
島原大門は 何度かの火事で 以前の威容は 失われています。
島原の中から見た 島原大門です。

大門の外側には 
島原の歌舞練場 跡がありました。
現在は 老人ホームになっていました。

そして 置屋さんは どこかしら?
ありました。「輪違屋 (わちがいや )」

見学は 謝絶です。裏手にいくつもの木造建物が連なっていました。 
現在ではなくなっていますが 大門から 島原全体に 小さな堀があって着物を着た女郎さんは 飛び越えられなかった。
女郎さんたちは 多分 歌舞練場へ行く時のみ 島原から出られたらしいです。
 (と思ったら Wikipediaでは 手形をもらうことで 女郎さんも 外へ出かけるのは 比較的自由だったとのことです ) 
現在は 民家ですが こんなタイル張りの玄関も見かけました。
島原温泉と称する銭湯がありました。
「誠の湯」というライバルもありました。

リノベーションされたお店も何軒かありました。

角屋の近くに 琴線に触れる建物がありました。
気にならない人には 気にならない建物かも。
近寄ってみると カフェ&バー と書かれています。
このカフェに入りました。 (続く )

七条通りから 京都鉄道博物館を見学して(京都鉄道博物館は そのうちレポートします ) から 以前から気になっていた「島原」へ向かいます。
どんな痕跡があるか ちょっと不安でもありました。
梅小路公園から ほぼ北方向 山陰本線高架下を進む辺りの場所と 大雑把に知ってはいました。
最初の痕跡がありました。
「島原西門 」跡の碑です。
嬉しいです。早速 石碑とはいえ 島原が 見つかりました。
なんと 「島原」とは 地名ではなかったのです。正しい住所は 「下京区西新屋敷」のに続く「揚屋町」「太夫町」などの地名です。
島原とは 当時 九州の島原の乱が 大きな話題となった時期で こちらの遊郭街も 京都の他の場所から強制的に移動させられて その時に 大きな騒動が起こったのが 島原の乱 を思わせたので 島原の通称ができたとのことです。
ヘェ〜。
お隣に 島原住吉神社がありました。

さて こちらは 裏口らしいです。
路地に入って行きます。

「東鴻臚館」跡 
こちらの説明も 東本願寺渉成園でも 七条通りの樋口酒店さんでも聞いた名前です!
「東鴻臚館」は 東西2カ所設けられた平安時代の 外国人接待所だそうです。
読むと 当時 遣唐使などで お付き合いがあった唐ではなく 渤海国を接待したとのことです。平安時代の公家さんも ちゃんと バランス外交をしていたのを知って感心しました。 (実際の場所は 南100m  ) 
(でも 東鴻臚館 が なぜ こちらが「東」なのか気になりました。実は 平安時代には 羅城門からの朱雀大路を中心に 西鴻臚館は こちらより西側 中央卸売市場の辺りにあったようです ) 


さて 本命の 「角屋」は この長い板塀の中のようです。

「久坂玄瑞の密議の角屋」碑がありました。江戸時代幕末の志士たちも こちらに 出入りしていたみたいです。
Wikipediaによると なんと 西郷隆盛や 新撰組も出入りしていたそうです。
説明を読んでいると 自転車に乗った年配の方が 声をかけてこられました。そして 色々 島原についてのレクチャーしていただきました。うーん 京都の人って 歴史好きなのですね!
この通りの両側 角屋だそうです。
明治時代にも 文人たちが 集い 昭和の後期に 島原は なくなったらしいです。

残念ながら 
残念ながら「角屋もてなし文化美術館」は 遅まきの夏休み休館でした。
角屋の1階と 様々なお宝が見られるようです。
色々興味深いお話を聞けて良かったです。
(続く )


京都散策 この日は 雨模様の天気予報だったので 屋根のあるところを目指しました。
屋根のあるところ というと 二条城?
いや 昨年 梅小路公園の梅小路蒸気機関車館をアップデートしてできた 京都鉄道博物館を目指します。

渉成園から 東本願寺 西本願寺の前の通りを歩いて行きます。大きな二つの本願寺も 長い工事が終わったようで 見学したかったのですが、小雨が降って 一時的には 大雨になったので 喫茶店で雨宿りしつつ 七条通りを歩きました。

すると 交差点の先に 
よく見ると 「 なか卯」ですが、

「富士ラビットスクーター」という自動車販売店だった建物です。

元々は 自動車販売店「日光社」として、大正12年頃に建てられたそうです。 



続いて  七条西洞院バス停前 


「旧鴻池銀行京都七条支店 」

京都市下京区七条新町西入ル夷之町704 

昭和2(1927)年竣工 竹中工務店

大阪を拠点に活躍した 建築家 宗兵蔵の設計事務所に 在籍していた大倉三郎が 設計したとのことです。 

 

そして 


「旧 村井銀行七条支店」

京都市下京区東中筋通七条上ル文覚町402  


現在は レストラン『きょうと和み館』として営業中で、この日も団体の利用で 一般客は 入らないようでしたが 昼間の予約が無ければ 喫茶店利用できる日もあるようです。


建築主の 2代 村井吉兵衛(1864~1926)は 国内のたばこの最大の販売会社として成功しました。しかし 戦争準備の資金のため 専売法によって国にたばこ事業を買収されました。

この売却金を資本として、村井銀行を明治37年に創設した。銀行のみならず 色々な事業を始めたそうです。金融恐慌で破綻、昭和銀行を経て 1944年に安田銀行へ吸収合併されました。

村井銀行の建物は、吉武長一が 設計。

この七条支店以外にも 大正ロマンでは 村井銀行祇園支店(カーラ・ラガッツァ)五条支店と (1924→現在 京都中央信用金庫東五条支店)も現存するそうです。

村井さんは 国の言うことを 毎回聞いていて 残念な結果に終わった との評判でした。


 




今度は 是非 お茶してみたいです。



近くの 樋口酒店の 親父さんには 京都のいろんな話を 教えていただきました。


京都の人 話してみると いい人だらけです。この日 このお店に無いものを買いに来た常連さんにも 「寄ってくれて ありがとさん!」と声をかけていらっしゃいました。



だいぶ前から 京都行ったら 行きたいと 温めていた場所です。
東本願寺 「渉成園」です。
京都駅から 京都タワーの少し先に 東本願寺と 西本願寺が 並んでいます。と言っても どちらも とても大きなお寺なので 実際に歩くと 並んでいると感じられません。
渉成園は 東本願寺からまた数分東へ歩きます。こんなに多くの観光客が来る京都で ここは穴場です。
拝観料500円で 素敵なお庭が 楽しめます。「初めてですか?」と聞かれます。
はい!
すると 全ページカラーの立派な冊子を差し出されます。
なんと プレゼントですって!
太っ腹です!

入ると目の前に 石垣があって 左側へ進みます。

早速に 素敵なお庭と建物が。

まだ広いので 先へ進みます。

不思議な二階建てがあります。
あとで知りましたが 山門だそうです。
庭の途中に山門とは 不思議。
振り返れば 門に対応する建物があったのですが、写真 失念しました。

夏の特別公開だそうです。
二階建ての茶室とは 珍しいです。
ぐるっと回って 
この建物の 右手へ
なるほど!普段は このくらいしか見えないのです。
なんと 一階と二階に 別々の案内ボランティアの方がいらっしゃいます。
まずは 一階で 「渉成園」のことを習います。
歴史が詳しい人には 常識でしょうけど まずは 東本願寺と西本願寺の関係から。
元々は 織田信長を、苦しめた石山本願寺が 大阪城のところにあったことから。
以前にレポートした時に 簡単に勉強したので 復習です。でも歴史を知らない人には こちらのご説明も ちんぷんかんぷんなのでは?
石山本願寺が 10年にもわたって戦ったので さすがの織田信長も 諦めて 和睦をすることにしたそうです。和睦の条件は 和歌山へ移転することで 本領安堵との約束です。
そして 明智光秀による暗殺で 豊臣秀吉の世になります。そこで 現在の西本願寺の場所を 秀吉が寄進して 本願寺は 京都へ。
そして 時は流れ 徳川家康の世に。
徳川家康が 東本願寺の場所を寄進して 東本願寺が できました。その後 徳川家光が さらに東側の土地を寄進して 門前町と この 渉成園が できた とのこと。
渉成園の名前は 夢窓国師が この漢文から名付けたそうです。

二階も 茶室ですが 抹茶でなく 緑茶の茶室だそうです。なので にじり口でなく 開放的なのだそうです。
遠く 京都タワーが見えます。京都タワーが見えるお寺は あまりないと思います。

残念なことに 借景に東山が見えるべきところに マンションが建って 見えません。

さて
こちらは お庭の水 抜いてみましたです。
2017年10月には 元どおりになるそうです。

右手の建物は 茶室に 向かう前に集まるお部屋だそうです。準備が整うと 小舟で 茶室へ向かうそう。


お茶室も 池の水が抜かれている間は 閉鎖されています。
2017年10月を お楽しみに。

以前も 「地下鉄に乗るっ」カードを紹介しましたが もう三年くらい経ったのに まだ 最初の3枚売ってるのに びっくりしました。
時々 トラフィカ京カードと 一日乗車券で 新しいデザインが 発行されています。

カードにならなくても 各駅には ポスター花盛りです。今週「京まふ」とか やるそうで 鉄道カードは 発売されないけど ポスター ファイル ポストカードが 人気を集めているみたいです。
主人公の 太秦萌 
こちらは 以前紹介しました コトキンライナーの 太秦麗 太秦萌のお姉さん。

メインキャラの3人 


最近は 女の子だけだと怒られる風潮なので イケメンも登場。

 「地下鉄に乗るっ」を合言葉に,地下鉄・市バス応援キャラクター「太秦 萌(うずまさ もえ)」「松賀 咲(まつが さき)」「小野 ミサ」の   3人と「太秦 萌」の姉「太秦 麗( れい)」「小野 ミサ」の兄「小野 陵(りょう)」「十条 タケル(じゅうじょう たける)」と 地下鉄マスコットキャラクター「都くん」が,京都市営地下鉄をPRするものです。

「太秦 萌」「松賀 咲」「小野 ミサ」の  3人は,京都市内の高校に地下鉄を使って通う高校2年生で,仲良しの幼なじみ。

2017/9/11 〜 18「京まふ」のポスター。


ちとせちゃん スタンプラリーやってました。ペンギンなんですね。なぜ?

「有頂天家族」
京都 アニメで 盛り上がってます。

そうそう 地下鉄 烏丸御池駅からすぐのところに 「京都漫画博物館」があります。
中々立派な博物館です。入場料800円。
次回には 寄らなくっちゃ!




京都丹後鉄道 ウイラーバスが 再建に取り組んで 丹後地域のバス会社と組んで いろいろ 地元用と 観光客用のきっぷを 相当発売して 頑張っています。
もちろん 天橋立まるごときっぷ とか 丹鉄まるごときっぷなども発売中。

ここに紹介するきっぷだけでなく、ウイラーバスと組んだ 関西発のツアーもあるので 是非 丹後地域にも 目をかけてください。

以下は 京都丹後鉄道のホームページから 抜粋しました。

@   @  @  ◇( 1 ) ◇ 

「城崎・天橋立観光きっぷ」
「舞鶴・天橋立観光きっぷ 」
「幸福パス」周遊乗車券3種類を 2016/ 4/20より発売開始!
バスと鉄道で 丹鉄沿線エリアを めぐる
 
http://trains.willer.co.jp/news/2016/0421_02.html 

WILLER TRAINS株式会社 
 
京都丹後鉄道を運行するWILLER TRAINS株式会社、京都交通株式会社、全但バス株式会社、 丹後海陸交通株式会社は、
丹鉄沿線エリアの観光地を結ぶ周遊観光を目的とした 企画乗車券   3種類を 4月20日より 各事業者窓口にて 発売します。

丹鉄沿線エリアには 
( 1 ) 日本有数の温泉地である城崎温泉 
( 2 ) 日本三景 天橋立 
( 3 ) ユネスコ記憶遺産 舞鶴引揚記念館など 近隣エリアに 豊富な観光資源がまとまってあるのにもかかわらず、多くのお客様が 1地点だけの観光をしています。
そういった中 地元からは「各観光地間の行き方を案内するのが 難しい」という声が あり、各観光地間で お客様の移動が滞っている原因の一つに アクセスが 分かりづらいことが ありました。

今回、( 1 ) 北近畿の5市2町の鉄道・路線バスが 3日間乗り放題になる 「幸福パス」に加え、城崎・天橋立間、舞鶴・天橋立間の2地点を移動できる鉄道乗車券と、各地点でのバスの乗り放題がセットになった ( 2 ) 「城崎・天橋立観光きっぷ」( 3 ) 「舞鶴・天橋立観光きっぷ」を 
新たに発売します。
これによって 2地点間の観光地の移動と その地域内での移動を分かりやすくし、より多くのお客様に丹鉄沿線エリアの周遊観光を 楽しんでいただきます。

また、ウィラートラベルサイト 
http://travel.willer.co.jp/kitakinki/tour/ 
では 京阪神から 丹鉄沿線エリアまでの 往復高速バスと、城崎、天橋立の宿泊施設、今回発売を開始する乗車券を セットに して購入できる旅行商品の販売を開始します。
これにより 丹鉄沿線エリアの観光地の魅力を紹介し、現地までの交通手段もあわせて 簡単に予約が できるようになることによって、京阪神地区から多くの方を誘致することを 目指します。

今回の取り組みを通じて1,000名の利用を目標とし、丹鉄沿線エリアへの さらなる観光客の誘致、ひいては 地方創生に 貢献してまいります。
 
3種類とも 販売期間:
2016年4月20日(水)~2017年3月31日(金)  

◇「幸福パス」
大人5,800円・小児2,900円
● 販売場所:京都丹後鉄道 有人駅 
各バス事業者案内所 

パスの内容 
○ 京都丹後鉄道:丹鉄線内の普通列車・快速列車乗り放題  (※特急は 含まず ) 
○ 京都交通:舞鶴・福知山市内の路線バス乗り放題 (※「高速バス」を除く )
○ 丹後海陸交通:宮津市・京丹後市・与謝野町・伊根町・福知山市の路線バス乗り放題(ぐるたんバス含む) (※「高速バス」・「登山バス」・「コミュニティバス」を 除く ) 
○ 全但バス:豊岡市内の路線バス乗り放題(たじまわる 含む)(※「特急バス」「豊岡市コバス・コミュニティバス」を除く) 

 
◇ 「城崎・天橋立観光きっぷ 」 
大人1,700円・小児850円  
● 販売場所:豊岡駅、天橋立駅、宮津駅、各バス事業者案内所 
● 商品内容:
○ 京都丹後鉄道:豊岡駅―宮津駅間の普通列車・快速列車を 片道   1回乗車可能(途中下車前途無効)
○ 丹後海陸交通:宮津市・京丹後市・与謝野町・伊根町の路線バス乗り放題(ぐるたんバス含む) (※「高速バス」・・「登山バス」「コミュニティバス」を除く) 
○ 全但バス:豊岡市内の路線バス乗り放題(たじまわる 含む) (※「特急バス」「豊岡市コバス・コミュニティバス」を除く) 
 

◇ 「舞鶴・天橋立観光きっぷ 」
大人1,300円・小児650円  
● 販売場所:西舞鶴駅 天橋立駅  宮津駅、各バス事業者案内所 
● 商品内容:
○ 京都丹後鉄道:西舞鶴駅―天橋立駅間の普通列車・快速列車を片道1回乗車可能(途中下車前途無効)
○ 丹後海陸交通:宮津市・京丹後市・与謝野町・伊根町の路線バス乗り放題(ぐるたんバス含む) (※「高速バス」・「登山バス」・「コミュニティバス」を除く)
○ 京都交通:舞鶴市内の京都交通が運行する路線バス乗り放題  (※「高速バス」を除く) 

 
WILLER TRAINS株式会社 
http://trains.willer.co.jp
 
全但バス株式会社 
http://www.zentanbus.co.jp/
 
丹後海陸交通株式会社 
http://www.tankai.jp
 
京都交通株式会社 
http://www.kyotokotsu.jp/
 
【この件に関するお問い合せ先】
WILLER ALLIANCE株式会社 
広報部   担当:吉村綾花 
koho@willer.co.jp    06-6123-7250  


@    @   @  ◇ ( 2 ) ◇ 

京都丹後鉄道 企画きっぷ 
http://trains.willer.co.jp/ticket/types/planning/ 

( 1 ) 「天橋立まるごとフリーパス 」
1Day  大人3090円・小児1550円 

( 2 ) 「2days天橋立まるごとフリーパス 」(開始日より 連続2日) 
2day   大人4430円・小児2200円 
※ 2day は 天橋立駅「知恵の湯」に 1回入浴可能と なります。

区間の普通列車、快速列車 特急列車自由席 及び 丹後海陸交通の路線バス 観光船 ケーブル リフト 登山バスが、乗り降り自由な乗車券です。

ネット販売 及び 有人駅販売。

( 3 ) 「丹鉄まるごときっぷ 」
 (京都丹後鉄道全線 普通列車 快速列車 特急列車自由席 一日乗車券) 
通常料金:
大人2,200円・小児1,100円 
 (※ ネット割引販売 大人2,000円・小児1,000円 ) 


関西 琵琶湖一周する家族ドライブ旅行に お得な 高速道路乗り放題パスが 発売中です。

以下は 乗り物ニュースです。

@   @  @ 
2016.06.01   乗りものニュース編集部
  
琵琶湖周回ルート 乗り放題ETC限定パス登場   ネット(みち旅)で パス4種類 発売中 
2016/7/1 〜 8/9 と 8/17 〜 11/30 
「ぐるっと乗り放題3日間プラン」および「ぐるっと乗り放題休日2日間プラン」の周遊エリア。
(画像出典:NEXCO西日本)

琵琶湖を周回する名神高速 北陸道 舞鶴若狭道 京都縦貫道などが 乗り放題になる ETC車対象のパス発売。

お盆を除く7月から11月までの期間に、
連続最大3日間 利用できます。
普通車 5900円 最大3日間乗り放題 

NEXCO西日本やNEXCO中日本など11者は 2016年5月25日、高速道路の対象周遊エリアが 定額で乗り放題になる「京都・若狭路・びわ湖ぐるっとドライブパス2016」を 発売する と発表しました。

京都縦貫自動車道が 2015年7月に全通し、琵琶湖を周回する高速道路ネットワークが 完成。
今夏には 北近畿エリアにおいて  「森の京都博」「海湖と歴史の若狭路キャンペーン」「MEET 三成展」などのイベントが 開催されます。関係自治体などは これらにあわせ「京都・若狭路・びわ湖ぐるっとキャンペーン2016」を共同で実施。

パスは 連携して発売される。
パスが 利用できる期間は お盆期間を除く 7/1 〜 8/9 と8/17 〜 11/30 まで。
パスは NEXCO西日本のウェブサイト「みち旅」で 発売中です。

発売されるプラン4種類のうち、
琵琶湖を周回できるのは 2種類。

「ぐるっと乗り放題3日間プラン」と「ぐるっと乗り放題休日2日間プラン」です。
「3日間プラン」は 利用期間中に 連続3日間、利用料金は 普通車が 5900円、軽自動車(二輪車含む) 4900円。

「休日2日間プラン」は 利用期間のうち土日祝日など 連続2日間利用できます。
普通車 4600円、軽自動車(二輪車含む) 3800円です。

対象車種は ETC搭載の普通車 
もしくは 軽自動車(二輪車含む)。

 乗り放題になる高速道路の区間(周遊エリア)は、名神高速道路の米原JCT~久御山淀IC間 
北陸自動車道の敦賀IC~米原JCT間 
舞鶴若狭自動車道の福知山IC~敦賀JCT間 
京滋バイパスの瀬田東IC~久御山淀IC間 
京都縦貫自動車道の大山崎IC~宮津天橋立IC間 です。

パス利用者は 29の施設で優待割引が受けられる他、指定のサービスエリア、パーキングエリアで 使えるクーポンが 進呈されます。

このサイトでは モデルプランとして 普通車が「ぐるっと乗り放題3日間プラン」を 利用して、天橋立(京都府宮津市)や氣比神宮(福井県敦賀市)、彦根城(滋賀県彦根市)などの観光スポットを 平日にめぐった場合、通常料金より5530円安くなる旅程を紹介。

また  乗り放題の区間などが異なる「京都・福井限定乗り放題プラン」「京都・滋賀限定乗り放題プラン」も 発売しています。

京都鉄道博物館が 梅小路蒸気機関車館を拡張して 開館します。

以下は Wikipediaから抜粋です。
@   @  @ 

京都鉄道博物館  2016/4/29開館 
Kyoto Railway Museum 
京都府京都市下京区観喜寺町 

施設情報 
2016年(平成28年)4月29日開館 
前身 梅小路蒸気機関車館  
管理運営 西日本旅客鉄道
公益財団法人交通文化振興財団  
位置 北緯34度59分10秒 東経135度44分30秒 / 北緯34.98611度 東経135.74167度

JR西日本 および 公益財団法人交通文化振興財団が 運営する。


施設概要  

2014年4月6日に閉館した 交通科学博物館の収蔵物の一部と、
2015年8月30日に閉館した 梅小路蒸気機関車館の収蔵物を 展示し、梅小路蒸気機関車館を 拡張 リニューアルを行い オープンする。

京都鉄道博物館の開館工事にあたり、蒸気機関車の解体検査や 修理に特化した専用検修庫を 新設。SL検修庫では、蒸気機関車を吊り上げることが できるクレーンを  設置し、検修庫を 修理風景を見物できるよう、施設の一部を ガラス張りにすることも発表している。


施設・収蔵車両

本館
◇ 230形233号機 
1903年 汽車製造製。
1984年 準鉄道記念物に指定、
2004年 鉄道記念物に 昇格。
2016年3月11日 国の重要文化財に指定。
現存する最古の国産蒸気機関車。

◇ 1800形1801号機 
1881年 英国キットソン社製。(旧番の40号に 復元、鉄道記念物)
1965年 準鉄道記念物に指定 
2004年 鉄道記念物に昇格。 

◇ 新幹線 500系521形1号車 
1996年、川崎重工業製。
廃車後 博多総合車両所で 保管されていた車両で、後述の100系と共に博多総合車両所から 
この博物館に収蔵された。

◇ クハネ581形35号車  
1968年、日立製作所製。
JR西日本吹田総合車両所京都支所に 所属していたが、2015年2月17日付で 車籍抹消となり 収蔵。
収蔵直後は 雷鳥のヘッドマークを出していたが、4月1日の報道関係者内覧会では 月光のヘッドマークを。

◇ クハ489形1号車 
1971年、東急車輛製造製。
JR西日本金沢総合車両所に 所属していたが、2015年2月13日付で   車籍抹消し 収蔵。
ヘッドマークは 雷鳥を表示。

◇ EF52形1号機  
1928年 日立製作所製。
1973年に廃車後、奈良運転所の 扇形庫で保管された後、交通科学博物館にて 静態保存された。
1978年 準鉄道記念物に指定 
2004年、鉄道記念物に昇格。

◇ ワム3500形ワム7055号車 
1917年、日本車輌製造製。
当初は JR西日本社員研修センターに 保管されていた。

◇ ヨ5000形ヨ5008号車 
1959年、川崎車輛製。
当初は 宇都宮貨物ターミナルにて保存されていたが、2015年3月1日に 京都に移設された。
移設し 塗装は たから号時代に 戻し、たから号のヘッドマークが設置されている。 

◇ EF66形35号機  
1974年、川崎重工業・東洋電機製造製。
さいたま市の鉄道博物館に 保存展示されている 11号機と同じくJR貨物で活躍したのちに 展示用として後述のDD51と共に JR西日本に  譲渡された機関車。
譲渡回送後の整備で 冷房装置を 撤去し 国鉄塗装に変更される。
京都鉄道博物館では 床下を見れるようにした嵩上げ展示となる。
2015年1月4日 5日限定で DD51と共に 扇形庫で展示された。

◇ DD51形756号機
1972年、日立製作所製。
JR貨物から譲渡された車両で、
前述のEF66と共に 京都鉄道博物館では 床下を見れるようにした 
嵩上げ展示となる。 

◇ キハ81形3号車 
1960年、近畿車輛製。
1986年 準鉄道記念物指定。
交通科学博物館からの 移転車両。今回の移転整備で 先頭のボンネット部分が 開く様になった。

◇ 新幹線 100系122形5003号車 
1989年、日立製作所製。
廃車後、博多総合車両所で 保管されていた車両で、前述の 500系と共に博多総合車両所から 
この博物館に収蔵された。


プロムナード
◇ C62形26号機 
1948年、川崎車輛製。
1966年に廃車後、交通科学博物館にて 静態保存。 

◇ マロネフ59形1号車  
1938年、鷹取工場製。
2等寝台緩急車。 

◇ スシ28形301号車  
1933年、日本車輌製造製。
3等食堂合造車。 

◇ クハ103形1号車  
1964年、日本車輌製造製。
2011年3月30日に 廃車となった。
廃車後は 吹田総合車両所に 保管されていた。京都鉄道博物館へ  回送される際に 阪和線のスカイブルーから 大阪環状線のオレンジバーミリオンに 塗装が変更された。
JR表記と前面窓下に合った製造番号表記が 無い為、現役時代とは  若干異なる。

◇ クハ86形1号車  
1950年、日立製作所製。
◇ モハ80形1号車  
1950年、日立製作所製。
交通科学博物館から移転してきた制御車と 電動車で 京都鉄道博物館では C62や 0系と 並んで展示。

◇ ナシ20形24号車  
1970年、日本車輌製造製。
交通科学博物館から 移転してきた20系食堂車。
車内への乗り降りも 車端部の貫通ロから出来る様に なっている。
移転前 博物館で行っていた食堂車営業は、軽食提供に特化する。
 
◇ DD54形33号機  
1971年、三菱重工業製。
交通科学博物館第2展示場から 移転してきた機関車。
 
新幹線 ◇ 0系21形1号車  
1964年、日本車輌製造製。
◇ 0系16形1号車 
1964年、日本車輌製造製。
◇ 0系35形1号車 
1964年、日本車輌製造製。
◇ 0系22形1号車 
1964年、日本車輌製造製。
交通科学博物館から移転してきた車両達で、この内 21-1・22-1・16-1は 1964年3月に 落成した 
1次車の先行製造車。
(C編成6両のうちの4両。)
同年8月に 落成の2次車の 35形トップナンバー車35-1とともに、
2007年8月に 機械遺産(11番)に 認定された。
2008年10月には JR西日本より 
鉄道記念物に、
2009年10月には 重要科学技術史資料(未来技術遺産)に 
指定された。 

トワイライトプラザ  
◇ EF58形150号機 
1958年、東京芝浦電気製。
1985年に運用を離脱、廃車になったが翌1986年に車籍が復活し、そのままJR西日本へ承継され、様々なイベント列車を牽引してきた。
2009年を最後に 本線での自力走行実績がないまま 2011年10月31日付で 車籍抹消となった。
展示に際し、ぶどう色から  
一般色に 塗装が戻されている。

EF58形150号機 オロネ24 EF65は 2015年3月20日の深夜 京都鉄道博物館へ回送された。

◇ オロネ24形4号車  
1973年、日本車輌製造製。
かつて日本海 (列車)で 使用されていた A寝台車で JR東日本から 譲渡された。 

◇ EF65形1号機  
1965年、川崎車輛製。
宮原総合運転所( 現 網干総合車両所宮原支所)で 保存されていた機関車で、2015年3月20日の深夜 
京都鉄道博物館へ回送された。

◇ EF81形103号機  
1974年、日立製作所製。
トワイライトエクスプレス牽引車専用塗装。2015年4月30日付 廃車。

◇ スシ24形1号車 
1972年、近畿車輛製。
トワイライトエクスプレス第1編成の食堂車。2015年4月30日付で廃車。現役時代と同じ 帯とロゴが 貼られた。

◇ スロネフ25形501号車 
1975年、富士重工業製。
トワイライトエクスプレス第1編成のA個室車両。
2015年4月30日付で 廃車。現役時代と同じ帯とロゴが貼られた。


扇形車庫  
梅小路蒸気機関車館所蔵の車両。扇形車庫は 2015年12月に車庫上部 「梅小路蒸気機関車館」の 
看板を 改め「梅小路蒸気機関車庫」となった。
扇形車庫1番から7番までは 動態保存車、8番から20番までは 静態保存車の収蔵と なっている。 
大半の車両が、1972年に 
前所属機関区から 現役車両として、梅小路機関区への転属手続きが行われた。
収蔵車両は、2006年10月14日、
施設 車歴簿 保守用工具等と共に 群として 準鉄道記念物に指定された。
※  1976年に準鉄道記念物指定されたC62形1号機、2009年に 日鉄鉱業から譲渡された1080号機、
2004年に 鉄道記念物に指定された7105号機(義経号)を 除く。

◇ 8620形8630号機 
1914年、汽車製造製。
8620形の11両目。
1972年9月 弘前運転区より転入。
1979年に車籍抹消(有火保存)。動態保存されて、「SLスチーム号」の牽引機を 担当している。

◇ C62形2号機  
1948年、日立製作所製。
1972年9月 小樽築港機関区より転入。SL白鷺号の牽引など 本線運転も 担当した。1979年3月に  車籍抹消(有火保存)されたが、1987年3月に車籍復活した。
梅小路運転区に車籍を有するが  本線運転に必要な全般検査等を  受けていないため 構内運転用と  して 動態保存されている。

◇ C61形2号機  
1948年、三菱重工業製。
1972年9月 宮崎機関区より転入。SL白鷺号の牽引など 本線運転も担当した。
1979年3月に車籍抹消(有火保存)された。
1987年3月に 車籍復活。梅小路運転区に車籍を有するが、
本線運転に必要な全般検査等を  受けていないため 構内運転用として動態保存されている。

◇ D51形200号機  
1938年、鉄道省浜松工場製。
1972年10月 中津川機関区より転入。1979年に 車籍抹消。
1987年に 車籍復活。
梅小路運転区に車籍を有し、構内運転用として 動態保存。
2017年以降 本線運転復活予定。 

◇ C57形1号機  
1937年、川崎車輛製。
1972年10月、新津機関区、佐倉機関区より 梅小路機関区に転入。
本線運転可能で、
「SLやまぐち号」牽引のため、
現在も 冬期以外は 下関総合車両所新山口支所に 常駐する。

◇ C56形160号機  
1939年、川崎車輛製。
1972年9月に 上諏訪機関区より  転入。
本線運転可能で、主に「SL北びわこ号」に使用される他、
過去には出張運転の実績多数。
2017年 本線運転終了の可能性が ある。

◇ B20形10号機  
1946年、立山重工業製。
1972年9月 鹿児島機関区より転入。1979年に 車籍抹消後は 静態保存されていたが、2002年10月に梅小路蒸気機関車館開館30周年を記念して 動態復元された。

◇ 1070形1080号機  
1902年、英国ダブス製。
1926年大宮工場にて改造された。1979年 日鉄鉱業羽鶴専用線で
廃車。2009年9月14日に 日鉄鉱業から JR西日本へ譲渡され、梅小路蒸気機関車館にて 静態保存。

◇ 9600形9633号機  
1914年、川崎造船所製。
9600形の34両目。1972年9月 小樽築港機関区より 転入。
1979年3月に車籍抹消(有火保存)されたものの 動態保存されていた。1987年以降は 静態保存されている。 

◇ C11形64号機  
1935年、川崎車輌車輛製。
1972年会津若松機関区より転入。1976年3月16日に 山陰本線 京都駅 - 丹波口駅間にて、高架化工事完成記念列車(京都駅 - 二条駅)を牽引。1987年3月に 車籍抹消され、静態保存。 

◇ 7100形7105号機  
1880年、米国H.K.ポーター製。
「義経」号の通称で 知られる。1923年、車籍抹消。
1963年10月 準鉄道記念物に指定。2004年 鉄道記念物に昇格。2014年4月に 交通科学博物館から梅小路蒸気機関車館へ移設。
2014年10月10日、17年ぶりに 
動態復元された。

◇ C62形1号機  
1948年、日立製作所製。
1967年 広島第二機関区で 廃車。1976年3月準鉄道記念物に指定。広島鉄道学園に 保管され、
1994年 梅小路蒸気機関車に移設され静態保存。

◇ D51形1号機  
1936年、川崎車輛製。
1972年 浜田機関区より転入。1972年11月から1973年11月まで 東海道本線・関西本線・奈良線・草津線で SL運行を目的とした    団体臨時列車を 何度か牽引している。動態保存されていたが、1986年5月車籍抹消後は 静態保存。

◇ C55形1号機  
1935年、川崎車輛製。
1971年 旭川機関区より 転入。1979年3月に 車籍抹消。

◇ C58形1号機  
1938年、汽車製造製。
1975年 北見機関区より転入。
C57 1と共に 山口線で 本線運転も行っていた。
1984年1月 本線運転を終了。
1986年5月 車籍抹消後 静態保存。

◇ D50形140号機  
1925年、日立製作所製。
1971年 直方機関区より転入。1979年3月 車籍抹消。静態保存。

◇ D52形468号機  
1946年、三菱重工業製。
D52形の最終号機。
1973年 五稜郭機関区より転入。 1979年3月 車籍抹消 静態保存。 

◇ C59形164号機  
1946年、日立製作所製。
糸崎機関区を 経て、1972年9月、奈良運転所より転入し、
1979年3月に車籍抹消 静態保存。

◇ C53形45号機  
1928年、汽車製造製。
1950年 梅小路機関区にて 廃車。国鉄吹田教習所保管を経て 
1961年から交通科学館(交通科学博物館)に 保存され、静態保存。鷹取工場にて 自走可能な状態に 復元工事をされた。
1972年10月10日 梅小路蒸気機関車館開館に際し、交通科学博物館より移設され 静態保存。

◇ C51形239号機  
1927年、汽車製造製。
1962年 新潟機関区で廃車。
1972年 新潟鉄道学園に教材として切開状態で 保管されていた。
長野工場で 外観のみ復元した後、梅小路蒸気機関車館にて 静態保存。


SLスチーム号&展示運転線
梅小路機関車館内にある 片道500 mの展示運転線を用いたSL列車で蒸気機関車が 専用の客車2両を 
牽引して往復する。
今回の京都鉄道博物館開業に 合わせて専用客車や展示運転線の改修(18m車対応工事)が 実施された。

二代目「SLスチーム号」用客車
◇オハテ321 1 ◇ オハテフ310 1 
京都鉄道博物館開業に伴う観光客増加を見越して 投入された SLスチーム号用の新たな客車で 車体長が 12mから17.5mに 延長された。


SL第二検修庫
SLの解体検査に 特化した専用検修庫で、今まで使っていた整備施設は その性質上(文化財級の建物なので)施設の拡張や 設備の更新が 困難で、ボイラーの運び出しには 大型クレーン車2台を 機関庫構内に 持ち込む必要があった。
ペデストリアンデッキを通して 
京都鉄道博物館との一体化を 図り、博物館にご来館される人達からも SL検修の作業風景を 見学可能になる。

引込線
営業線と繋がっている施設で、
現役で運行している車両なども 臨時に展示出来る様になっている。

◇ オハ25形551号車 
1977年、富士重工業製。
トワイライトエクスプレス第1編成のサロンカー。
4月7日に 網干総合車両所を出場して網干総合車両所宮原支所まで
輸送され、4月13日深夜に 京都鉄道博物館に 回送された。

◇ カニ24形12号車  
1975年、新潟鐵工所製。
トワイライトエクスプレス用の
電源車。前述のオハ25と共に
網干で整備を受けた後 京都鉄道博物館に 回送された。

◇ オハ46形13号車  
1955年、汽車製造製。
2011年10月31日、宮原総合運転所にて除籍、廃車後、梅小路蒸気機関車館にて静態保存。

その他
◇ 50系客車(オハフ50 68)
休憩室として 利用されている。
塗装や座席は 原形のままであるが、車内に 家庭用エアコンを設置、裏側に 配管と室外機が 設置されている。 

◇ 国鉄151系電車 クハ151形  
(先頭部モックアップ)
交通科学博物館から移転してきた実物大のカットモデル 

◇ 国鉄101系電車 クモハ100形 
(モックアップ)
交通科学博物館から移転してきた実物大のカットモデルで、
前述の151系モックアップと 背中合わせに配置される。

◇ 912形ディーゼル機関車 912-64 (先頭ボンネット部分のカットモデル)
東海道新幹線工事用車両の 牽引と開業後の補修車両牽引用にDD13形を 標準軌化改造した車両で 
先頭部のU字型フレームに 電車と同じ 密着連結器を 装備している。
先頭ボンネット部分のカットモデルとして 設置されている。
このカットモデルは 長らく交通科学博物館で ブルーシートが掛けられて 保管されていた。

◇ 221系電車 (カットモデル)
鉄道博物館で 鉄道運転シミュレータとして 使用されていた機材。
移転に際し、運転シミュレータの機能は 全て撤去され、新たに車掌体験コーナーの教材として使用される事になった。
この為 乗務員扉の所までしか無かった元のカットモデルに 新たに  乗降口・戸袋窓・座席が 片側だけ新たに 追加されている。

◇ EF66 10  (先頭ボンネット部分のみのカットモデル)
今回 追加された機材で、このカットモデルには 前面窓や屋根が  
一切無い構造となっている。

スカイテラス
本館3Fの南側屋上に 設置された 展望スペース。京都の街並みやJRの在来線や新幹線が一望できる。
各所に 専用の端末を設置し 西大路~京都間に入る列車が 今 何を走っているかが、観察出来る様になっている。

舞子から 淡路島大橋が 正面に見えるのが このゲストハウスの売りです。

建物1棟が バーを含めて ゲストハウスです。




朝食も 美味しいです。
写真は 少し違う場所から撮りましたが これと同じ景色が 毎晩見られます。
陸側の窓からは 山陽電車 JRの 山陽本線 各駅停車用と 快速用の線路が 見えます。
鉄道ファンご用達とも言えます。
部屋は カラフルなカーテンで仕切られた しっかりした2段ベッドのドミトリーです。
バーコーナーで お茶 ディナー お酒も楽しめます。

安土城の見学を終えて サイクリングです。「安土城天守 信長の館」は 少し離れています。
田んぼの周りを すいすい。
模型です。これでは 大きさが わかりません。
「安土城天守 信長の館」は 近代的な 面白くない建物です。
三日三晩続いた 徳川家康への 饗宴の 一部です。
実は 「安土城天守 信長の館」の 外側の 建物 ギリギリに 造られていて 天守閣の 上三層のみなのに 全体を 写すことが できません。

なんと大きいものでしょうか!
こちらは 1992年の スペイン セビリヤ万国博覧会に 日本館に 出展されて 戻ってきた 原寸大レプリカです。
下からは 全体像 一番上の 部屋が 写せないのです。
どれほど 金箔を 使ったのでしょうか。
階段で 登って 
天守閣の 一番上の部屋です。
まさに 我が世の春を 信長は 楽しんだのでしょう!

さすがに お腹が空いて お隣りの食堂で 
近江牛の お弁当を いただきました。

レンタサイクルのご利用お勧めします。
(終わり) 



続きを読む


天守閣の跡から 帰り道 塔の 頭が 見えます。
こちらからは 我々も 琵琶湖が 見えます。
こちらに登って来られたのに 土地勘が なくて 琵琶湖が わからない人が いました。あは。
三重塔でした。
予想以上に 傷んでいます。文化財 大切に して欲しいです。
ボクの私見ですが、国宝の 彦根城ばかり力を入れていますが、安土城も、もっと大事にしなくてはいけない と思います。

さらに下には 山門も あります。
強者どもの夢の跡 です。

1579年完成から 3年後の1582年 本能寺の変で明智光秀が 占拠したものの、 豊臣秀吉の中国大返しに対する決戦のため 城を離れた。
その数日後 安土城天守閣は 謎の出火によって 消失した。
主を亡くした安土城は 八幡山城築城の際に 建築材として 廃城に された。


最初に寄った 東屋の 天守閣 模型です。
これでも 立派ですが 
本物サイズの 信長の館 レプリカとは 比べものになりません。

登城を 再開します。
(左手 徳川家康 右手 豊臣秀吉宅。)
こちらは 羽柴秀吉(豊臣秀吉)の居宅跡です。徳川家康さんより やや低い位置ですが、広いです。
まだまだ続きます。
織田信長は 墓石はもちろん 石仏までも 階段に 使っています。


「お釈迦様の 足の形」だそうです。
世界でも貴重なもので やはり 階段に 使われていたものを こちらに 飾ってあります。(もっと 大事にしなくては いけないような気がします) 
二の丸跡 でしたっけ?
意外に広い土地が ありました。
天守閣の あった場所です。
こちらに 地下一階 地上6層の 豪華な天守閣が ありました。
こんな山の上に!
景色は こんな感じです。
天守閣からは 琵琶湖が 見えたでしょうが、現在は 木々が 視界を妨げます。
織田家の墓が あります。
信長は 入っていません。


織田信長さまの金屏風。
如何でしょうか。
見事なおもてなしです。



ゆっくり お抹茶を 楽しみました。


カエルの置物が お茶目です。
金箔瓦が! タイのアユタヤも そうですが、金箔 壊されてしまうと 美しくないですね。 
小さなお庭を 楽しみました。
徳川家康さんは どんな気持ちで こちらにいらっしゃったのでしょうか。

織田信長の最後の城 安土城!

IMG_8410[1]
どこにあるか 知ってますか? 
実は 東海道本線の 安土駅から 徒歩なら30分くらいの場所に あります。
歩くのは 大変なので レンタサイクルを借りて 行きました。 右側のレンタサイクルのおじさん 手作りのわかりやすい地図をくれました。
IMG_8361[1]
入り口は こんな感じです。
近くに 無人の東屋 小さなお休み処があって そこには 安土城の天守閣の ミニチュアが あります。
安土城の 原寸大復元品も 後で 寄ります。


こちらからが 有料です。
安土城跡は 総見寺が 持ち主です。
入山料を 支払います。
ガイドブックには 500円 と書かれているのですが、1000円の券を買ってください。
500円のボタンは 下の方にあるのに、皆さん しっかり見つけて こちらの券を買っています。
1000円は 総見寺見学 と書かれていますが、実は お抹茶 お菓子付きです。
階段を登ります。 
登り始めて すぐ右手は 
前田利家の住居が あったところです。

そう言えば、石垣のある 現在 城としてイメージされる城の 最初のものが この安土城だそうです。

そして 次には 豊臣秀吉の住居が 左右に あります。秀吉が 如何に重要視されていたかが わかります。

ここまで まっすぐ階段です。
結構きついです。
そして まっすぐの 突き当たり手前右手に、総見寺 と あります。
この写真は 総見寺の 少し上から撮りました。(左手が 総見寺) 

総見寺と 称していますが、こちらに 徳川家康の居宅が ありました。信長が 明智光秀に命じて 100種類の料理で 接待して 三顧の礼で 迎えた その居宅のあった場所です。

お寺が なんだって?

まあまあ。

織田信長が お出迎えです。

(続く) 

豊国廟  阿弥陀ヶ峰 
長い階段を登り 門を抜け 次の階段が ありました。
IMG_4181

IMG_4182
こちらは 休む場所もない まっすぐの階段です。
でも ヒィヒィいいながら 途中休む。

ようやく 山頂です。


IMG_4183
豊国廟 です。
でかいです。
台座の上に 5mはありそうです。


豊臣秀吉公の遺言で こちらへ 埋葬されています。しかし、こちらへ葬られたのは 明治になってからだそうです。
徳川家康公は 秀吉公を 疎んじていたのでしょうか。
明治天皇の命で 豊国神社再興する時に敷地内から 骨壺が 発見されたそうです。
ということは 江戸時代には 豊臣秀吉公のお墓は なかった ってこと!


周りは 木が密集していて、わずかに 
お隣の山の 清水寺が 見えます。

秀吉公も こんなに山の上に 
お墓を作れ との遺言して!

でも 目的は 達しました。


下山。

IMG_4184
降りるのも 怖いです。
転がり落ちそうです。

手摺り 付けて欲しいです。

地上まで降りると、

IMG_4185
国松君の お墓が。
IMG_4186
秀吉公に 比べれば小さいですが、源頼朝のお墓よりは 大きいです。

普通の平日には 1日 10組も 来ないそうです。土日でも 数十組とか。
豊国まつりには 相当来られるようですが。


帰りは プリンセスラインで 四条河原町まで すっと 着きました。

(終わり)  
続きを読む

ようやく 豊国神社の別院 に 着きました。
IMG_4174
あの 左手の小さな小屋から 神職の方が 出迎えてくれました。
こんなの 初体験です!

「豊国廟 に お参りですか?」
ええ。 
「実は ここから 20分くらいかかります。
お時間は よろしいですか?」
えっ、やはり 先ほどの地元の人のお話しは 本当だったの?
「豊国廟までは 階段が 565段ございます。往きは 20分くらい、帰りは 10分くらいかかります。」
如何ですか? 
お参りする方は 平日だと 10組に満たないそうです。この日は もう何組も 来られているとのことです。

565段 と聞いて よっぽどやめようか と思いましたが、ここまで説明していただき 帰るのは 男が 廃る。ええい、男の子!

すると 
「後出しじゃんけんですが 参拝料 100円いただきます」
了解です。
IMG_4189
(参拝帰りに 感想を話したかったのですが、やはり参拝を考えているお客様との対応に時間がかかるようなので あきらめました) 
IMG_4175
ご不在の時も あるのですね。
IMG_4190
豊国神社の宝物館で お会いしたガイド付きツアーの人々。階段の下で 再度思案していました。

ボクの登る時は 誰も 登る人は いませんでした。
IMG_4176

IMG_4177
さあ、ここから階段です!
IMG_4178
2段一組の 登りやすい階段です。

しかし、それでも 終わりが見えない階段です。 途中で 休憩します。
スマホで ネット見たりして!

ご夫婦が 降りて来ました。
あと どのくらいですか?
ご主人は 「あと2/3くらい」
えっ 
奥さま 「いえ、あと半分くらいですよ」

あゝ よかった! 

その階段を登り切ると 門が あります。
IMG_4179
先ほどの話しによると まだ 先は 長いはずです。ふと 後ろを見ると 次の参拝者が 結構なスピードで 上がって来られそうです。
こうしちゃいられません。抜かれては!
IMG_4180

IMG_4181
次の階段は 普通の階段です。
休憩する場所は ありません。
(続く)  阿弥陀ヶ峰 

IMG_4167
左手の鳥居より 右手に 赤い鳥居が。
IMG_4168
新日吉神宮? あれっ?
読み方は 「いまひえじんぐう」
IMG_4169
IMG_4170
違う神社ですが、予想外に 広いです。
こちらに お参りしていらっしゃる地元の人に お聞きしたところ 
「いやぁ、豊国廟は まだまだ 30分くらいかかりますわ!」
衝撃の言葉です。
だって、
地図に 徒歩20分 と書かれてますが? 
もう 10分くらい歩いたのに!

こちらを 抜けられる と思ったら 抜けられません。
先ほどの 鳥居まで戻ります。
駐車場を抜けると、
IMG_4171
京都女子大です。
大きな大学なのですね!
ホテルがあったり、京都女子大の大規模な新築工事現場を抜けて、また駐車場を抜けて、ようやく 豊国神社です。
IMG_4174
赤い プリンセスラインの 赤いバスが 駐車場に わさわさ。
さて ようやく 豊国神社の 豊国廟に たどり着きました。
(続く)

IMG_4141
京都では 豊国さん というのですね。
IMG_4160
宝物館の 拝観券と共に リーフレットをいただきました。
とんでもないことを 知ってしまいました。豊臣秀吉公の お墓が 豊国神社の 別院に あるようです。
歩いて20分!
悩みます。午後からは 別の場所へ行く予定でした。片道20分だと 往復して ちょっと見て 1時間弱かかりそうです。
IMG_4161
とりあえず、宝物館の裏手の馬塚石塔を見に行きました。近道することが できれば と 思ったのですが、 月極め駐車場で 裏から出ることは できませんでした。

やむを得ず 表側へ。
もう 諦めて と いけばよかったのですが 
行くことに決めました。
あゝ、

IMG_4162
素晴らしい石垣です。豊臣秀吉公の造られた城は ほとんど残されていませんが、この石垣から そのものすごい勢いを 感じます。

IMG_4163
この日 京都国立博物館は 次の催事のために 臨時休業していました。

IMG_4164
三十三間堂も この際 行きません。
立派なお寺だらけ。 さすが 京都です。
このお寺の 左手の道へ。
IMG_4166
おお!豊国南参道 の 大きな石碑!
IMG_4167
この鳥居 豊国神社のものらしいけど、駐車場?
右手に もう一つ 赤い鳥居が ありました。
(続く) 

続きを読む


IMG_4145
豊国神社 宝物館。

豊国神社は、豊臣秀吉没後に建てられましたが、
秀吉の死は極秘事項だったので、大仏の鎮守社として造営され、
秀吉の遺言では八幡になる予定でしたが許されず、豊国大明神となりました。
しかし、豊臣滅亡後、徳川家康によって、廃止されました。
北の政所のたっての願いで建物は残されたものの荒れるに負かされ、
江戸時代には再興されませんでした。
明治天皇の命で、再興されることになり、
明治になってから 豊国神社ができたそうです。
神職さんのお話では、宗教法ができて、
全国の末社は ホウコク神社と 読むことになったが、
こちらだけは、トヨクニ神社と読むそうです。
IMG_4147
太閤の歯が残っているのです。
撮影禁止ではありませんでした。
ストロボは使用しておりません。
IMG_4148

IMG_4149

IMG_4150

IMG_4151

IMG_4152

IMG_4153

IMG_4154

IMG_4155

IMG_4156

IMG_4157
豊臣秀吉公の遺物はほとんどないはずでしたが、
残っていて幸いです。
豊国神社は、別格神社に昇格して、今に至ります。


IMG_4132
豊国神社の唐門。国宝です。
こちらも 伏見城から二条城へ、そして南禅寺を経て、
豊国神社の復興で こちらへ移されたものです。
IMG_4142

IMG_4143
見事な門です。
IMG_4144
中へは入れません。

IMG_4145
右手に、宝物館があります。
入場券は手前の社務所で購入します。
IMG_4146

この渡り廊下も進入禁止です。

今年は、なぜか豊臣秀吉公に ご縁が多いです。
春に 吉野の千本桜( 1 ) 、 近寄れなかったが伏見桃山城址のあった伏見御陵( 2 ) 、そして 醍醐寺の桜( 3 ) 。
原形は わからないけれど 復元された最初のお城 長浜城( 4 ) も 行きました。

豊国神社( 5 ) にも 行ってみたくなりました。


五条駅から、南に行けば たどり着くはずです。


IMG_4130
豊国神社の鳥居。

IMG_4128
ここは ちょっと場所が違うのですが、京都らしい路地です。
京都らしい、京町家を写したい と思いつつ歩いていくと、
急に広い道になってきて、
ところで ここは 豊国神社の近くだろうか?
と、駐車した人に聞くと、
「目の前にありますよ!」
と、超恥ずかしいことしました。

IMG_4132
この門は、伏見城から 移してきたものです。
国宝 です。
見事です。

ふと、お隣に 方広寺があるのを 思い出し、
そちらへ行って見ます。

IMG_4133

IMG_4134
歴史では習いましたが、あの 有名な 鐘 今もありました。
問題の鐘なので、とっくになくなっているのかと思っていました。

IMG_4135
とても大きな鐘です。高さ4.2mもあるそうです。
鐘の全面に とても小さな四文字の漢字で埋め尽くされていますが、
ちょっと見 何が書かれているか近くへ寄らないと読めません。

例の事件のことですが、ネットを参照しますと、

銘文の一部に「国家安康」「君臣豊楽」と書かれていたのが 
家康の怒りに触れ、その後の豊臣家の数奇な運命が始まるのは
あまりにも有名な歴史の出来事です。
「国家安康」「君臣豊楽」を「家康の名を引き裂いて呪詛(じゅそ)するもの」 と
いいがかりをつけたのです。
それが大坂冬の陣へとつながりました。

と あります。
その文字は 最初どこにあるかわかりませんでした。
地元の方に教えていただいて、ようやく白く囲まれた文字がわかりました。
いつもは、住職様が鐘楼の木戸の鍵を開けておいてくれるそうですが、
この日は残念ながら、時間のせいか 開いてなかったので外からの見学です。
IMG_4137

IMG_4138
こんな小さなところを発見したのは、南禅寺の住職だそうです。
彼は、徳川家康の重用されていたため、こんな難癖をつける発見をしたのでした。
IMG_4136

現在は、豊国神社の横に小さな敷地ですが、
豊臣秀吉公の時代には、とても広く、
豊国神社はおろか国立博物館や三十三間堂も含めた敷地だったそうです。
想像もできませんね。
広い参道は、 その名残でしょうか?
そして、秀吉は、ここに 東大寺の大仏より大きな19mの大仏を
木造で立てましたが 震災で壊れたそうです。

そして、秀吉亡き後に、秀頼が大仏を再建したときに 造られたのが、
この鐘でした。
日本三大名鐘で 重要文化財に指定されています。
このときの大仏も その後震災で壊れ、鋳つぶされた銅で、銅銭が作られたそうです。

「竜馬通り」
IMG_3876
寺田屋の 少し脇の 小さな商店街が 竜馬通りを 名乗っています。 
IMG_3875

IMG_3877

IMG_3878
最近は シャッターに 坂本龍馬の関連する絵が描かれていました。
IMG_3879

IMG_3880
龍馬のお水だそうです。
IMG_3882
こちらは 鳥羽伏見の戦い です。
IMG_3885
竜馬通り まだ 早めに シャッターが 下がりますが、その先には 納屋町商店街があります。こちらは 数年前に 100年を迎えた アーケード街です。 

  IMG_3889
京阪の 伏見桃山駅へ 向かいます。

伏見 寺田屋に向かいます。

  IMG_3864
IMG_3865
この橋の下の川から 龍馬の時代、京都にも 大阪湾にも 行かれました。
IMG_3866
現在も 十石船や 三十石船が 季節によって運行しています。
当時は 川と地面の境目は あまりなかったようです。、
IMG_3867
川の先に見える蔵が 月桂冠です。
IMG_3868
IMG_3871
IMG_3870
寺田屋です。昼間は 見学できます。
夜は 泊まれるようです。

しかし 
IMG_3872
本物の寺田屋は このお隣にあったようです。
まぁ、かっぱ寿司や はなの華 よりは 雰囲気が いいですね。
ってことは 龍馬の刀傷というのは?
(長崎の 料亭にも 龍馬の刀傷がありますね) 
IMG_3873
IMG_3869

伏見 京都の市内から離れて 中書島駅に 来ました。
 
IMG_3845

IMG_3842
駅の中にも 龍馬が います。
IMG_3843

IMG_3844
中書島の駅の外にも 同じ写真が。
伏見は その当時 交通の要衝でした。
大坂から 淀を経て 大阪湾が この近くまで 入り込んでいました。

IMG_3848
駅前の 立飲みのお店です。
以前に 寄りました。いい感じです。
この日は 先を急ぎました。
IMG_3849
こんな感じの 昭和の建物が この辺にはちらほら。

交通アクセスの ご案内ですが、
坂本龍馬が 襲われ お龍が 逃したり、薩摩藩の密会に 新撰組が飛び込んだ 寺田屋は この「中書島駅」が 一番近いです。

その先には 日本盛や 黄桜酒造のある いわゆる伏見の酒蔵が 多いです。お酒が目的なら 「伏見桃山駅」か「桃山御陵前駅」または そのお隣の 「丹波橋駅」「近鉄丹波橋駅」からです。伏見城も 現在は桃山御陵となって入れませんが こちらです。鳥羽伏見の戦いの舞台の 伏見奉行や その時の 鉄砲傷の残る料亭もあります。
この 鳥羽 とは 伊勢の鳥羽ではなく、伏見の近くに 鳥羽街道があって その辺りだそうです。

そして、外国人に 大人気の 伏見稲荷は 少し離れた「伏見稲荷駅」または「稲荷駅」のところです。ちなみに 稲荷駅というのは、JR西日本の駅ですが 戦前には 伏見稲荷は 「稲荷」と称していたそうです。宗教法人の法律が出来て 伏見稲荷と 称するようになりました。

以上 間違えやすい アクセスのお話しです。
 

坂本龍馬 中岡慎太郎 終焉の地 
 旧近江屋跡 
  IMG_4223
IMG_4213
IMG_4214
IMG_4215
京都の 繁華街 四条河原町の ところに 坂本龍馬の 遭難の地が あります。
バス停があったり 人の通りが 多いところですが 気にとめる人は 少なめです。
現在は 回転寿しの かっぱ寿司が あります。以前は パチンコ屋さんだったのが 旅行代理店に なって コンビニになって かっぱ寿司です。

そういえば、11月15日は 旧暦ではありますが、坂本龍馬の 亡くなった日です。そして 生まれた日でもあります。
各地で 坂本龍馬ファンが 偲ぶ日ですが、こちらは 人通りが 多過ぎる感じですね。

池田屋事件

IMG_4244

IMG_4243

IMG_4245
こちらも 坂本龍馬本人とは 直接ではありませんが 関連する 池田屋事件の舞台でした。現在は はなの舞のお店に なっています。
IMG_4246
三条大橋の スターバックスは 有名です。
IMG_4249
鴨川も ちらっと。
IMG_4250
三条大橋。こんな京都のど真ん中に 坂本龍馬が居たのに、写真も ばらまいていたのに 顔は知られていないのが 面白いです。

高瀬川
  IMG_4237
今となっては、こんな浅い川が 水運に 役に立っていたとは 想像もできません。
IMG_4238

IMG_4260

IMG_4261
舟入は 九つに増えてから 八つに 減らされたとか。
IMG_4262

IMG_4263

IMG_4264
こちらの建物のところに 土佐藩邸が あったのも 坂本龍馬には 心強かったのでは。
IMG_4265

IMG_4266

IMG_4268

IMG_4269
こんな繁華街にも 高瀬川で 風情を感じます。

↑このページのトップヘ