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神戸行きジャンボフェリーの乗り場は 土庄港ではなくて、反対側の港 坂手港からでした。
16:00発だが 待合室には そんなにお客さんは いない。時間前になると 乗船案内があって 埠頭へ。
なんと大きなフェリーであろうか?
階層だと 下の二層が 車と コンテナ用 乗客は 3階へのデッキを渡って乗船する。
客室が 4層もある。

さらば 小豆島!
淡路島大橋の下をくぐる。







最後に 石切場 八人石苑です。
八人の石工が 1度に大石の犠牲に なったそうです。


石を割った途中の石が 残されています。
運ばれなかった石は 残念石と呼ばれています。
全部は 回りませんでした。

この下の湾から 石を船で運び出したようです。

寒霞渓は 今回は 行かれませんでした。


小豆島の 一番の売りは 二十四の瞳 だそうです。
こちらから 岬分校まで 道は 大回りで 遠く 船に 先生だけ特別に乗せてもらって 通ったそうです。

なんと 「岬の分教所」は 現存していました。本物です。
昭和46年まで 使われていたそうです。

高峰秀子さん主演の映画。




こちらは カフェとお土産売り場がありました。

そして 
100mくらい先に 「二十四の瞳の 映画村」が 別途ありました。
見学は しませんでしたが こちらは 分教場のロケセットが あるようです。

マルキン醤油の 往時のポスター 

新珠三千代さん 




中々 素敵ですね。

小豆島紀行 
マルキン醤油 の施設見学しました。


この日は無料。
と言うか 改装予定で まだ着工していないので しばらく無料だそうです。

小豆島は 今でも 醤油メーカーが いくつもあります。小豆島には 醤油メーカーいっぱいあるんだ! と言ったら 怒られました。戦前は ほぼ独占状態だったそうです。
関東なもので 野田醤油 キッコーマンしか知らなかったのです。
今は使っていない工場が 展示場に なっています。
まだ 醤油の香りがします。
ミシンは 豆の袋などのほつれを縫ったりするのに 使われていたようです。

もろみ室です。お酒と一緒なんですね。

続き 
古いポスターを ご紹介します。

小豆島紀行 オリーブの丘 
見覚えある人? 
こちらは 実写版 魔女の宅急便 の キキが2階に住まわせてもらったパン屋さん。
実際には お隣に そっくりの建物を建てて 撮影したそうです。ロケの建物は 撤去されています。
なんとも美しい風車ですね。


オリーブの花は 5月なのでした。
ミモザの花が咲いていました。

ラベンダーの花の向こうは 宿泊施設も あるみたいです。

小豆島紀行 お昼です。
土庄町の中心部に 戻ってきました。
お昼には 混んでしまうとのことで 開店早々に 入店しました。
日本料理 「島活 」さんです。

いい材料を 大きな冷蔵庫から出してきて 造り始めました。

うーん!
値段が びっくりするほど お得です。
新鮮な海鮮を こちらでは 安く提供していただけるのは 親父さんが 太っ腹で 残りを出さないために どんどんサービスしていただけるからなのだ とのことです。

土庄の町中に 三重塔が あります。
お勧めでは ないのか 言及無しでした。

ごめんなさい。

小豆島紀行 次は 石切場の博物館 です。
今回 初めて知ったのですが、小豆島は 離島という範疇に入っていますが 実は 昔から 様々なものに恵まれた豊かな島でした。
大阪城築城に際しては 地の利も生かし 大量な需要があったのです。






これで 石を割ります。



単なる岩山だったものが お金になるのですから 世の中 わからないものです。
徳川時代は 天領だったようです。


こちらは 百枚田 
この周りが 芸術で この丸い作品は 台湾の作品だそうです。この芸術を見に来て ちょっとした渋滞したり、バスで 廻っている人たちも いました。

ギネス記録の 世界一狭い海峡 「土庄海峡」
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全長.5km 幅最小9.3m 最大幅200mです。
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小豆島は 実はこの海峡で 前島と本島に二つに分かれています。
海峡の上にせり出して 9.3mもありません。
そして、誰も観光客がいません。
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宝生院のシンパク
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ビャクシンとも呼ばれる貴重な木です。
なんと 内務省の大正時代の看板まであります。
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数年前に磨いてしまったので、大正時代のものとはとても見えません。

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根が数十mにもわたっていて、本当は この近所を歩くのも シンパクにとっては よくないそうです。
本当は知らせたくない神木だそうです。

 

エンジェルロード 「天使の散歩道」だそうです。
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パワースポットになっているそうで 外国の女性達まで 集まっていました。
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おお〜〜 少しずつ 砂の道が 現れました。
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小豆島 高松へ寄ったついで という急遽思い立って の立寄りです。高松のゲストハウスのオーナーさんのお勧めです。

小豆島には 高松の駅前の 高松港から フェリーと 高速船が 出ています。
これに乗って 小豆島を観光して 夕刻 小豆島から 神戸港へのフェリーで 向かいました。
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高速船 意外に かわいらしい船です。
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高速船で、1170円です。
小豆島のゆるキャラ「オリーブしまちゃん」が座っています。

小豆島は 知人に 案内してもらいました。小豆島は 小豆島八十八札所があります。
有名なのは 寒霞渓と オリーブ 二十四の瞳 ですね。大きな島なので 1日で 全部回るのは 無理です。

まずは 
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小豆島も ウミガメの産卵地なのですか!

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樹齢千年のオリーブの木です。
小豆島は オリーブの産地ですが、千年の木は こちらの産ではありません。
ちょうど スペインで 千年の樹齢のオリーブの木が 売りに出されていて 渡りに船だったそうです。
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エンジェルロードが こちらから 見える とのことです。
左手から 次の島まで 歩いて渡れるそうです。見た感じ 満ちているようですが。
(続き) 



観音寺
何度か高松には来ていて 金刀比羅なら ことでんで 行っても中々 観音寺には寄れなかった。予定外だったけど、銭型砂絵 を見てみたかったので 急遽 この駅で 飛び降りた。
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ネットで調べたら、琴弾山の上から見下ろすのが こちらの楽しみ方 とか。山登りは ハイキング程度で 思ったより大変だとか。
実は 足を少し痛めていたので、片道は タクシーを利用しました。たまには タクシーも 便利です。
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この石に上らなくても 銭形は 見えます。
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良きかな 良きかな!

おもてなしの為に 急遽作ったものを その後も続けているそうです。
1年に1度作り上げると ほとんど手間いらず だとか。雨が降らないのですね。ナスカの地上絵みたいですね。
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外国の人にも知られているのですね。

タクシーで すぐそばまで乗ったので それほどやることはなくて 右手に 展望台もありますが さほど景色は 変わらず、地上に 降りることにしました。
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少し歩くと 四国88札所の 68番と 69番が 右手に 降りたところに あるようです。
一つの山に 二つ札所があるのは 珍しいそうです。
山鳩にも 出会いました。意外に 逃げません。
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狭い山に 車の道を造ったので 一方通行で くねくねと 曲がります。
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これは 銭形デザインでしょうか。

琴弾公園の地上に 降りると ちょっとした林の道を歩いて 銭形砂絵に 向かいます。

下り道と 林の公園内を歩いて10分くらいでした。
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近寄ると それらしく見えません。
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立ち入り禁止なのに カップルが 立ち入っていました。
( あとで地元の人に聞くと 以前は 入ってよかったそうです) 
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山の上から見下ろしましょう!

公園内に 小規模な貨幣博物館が ありましたが この日は 休館でした。
観音寺町のうどん屋マップに 載っているお店も ありましたが、14:00で お店は 閉めたそうです。

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まあまあの 神社が ありました。
琴弾八幡神社でした。
お正月には こちらが 初詣の名所で 山登りに 列をなす とタクシーの運ちゃんが 言っていました。
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あの 三連の橋を渡って 15分くらい歩くと 観音寺駅に 着きます。
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屋島合戦に 関係あるそうです。
なんと 源義経公は 策略家とは知っていたけど 部下の伊勢氏に命じ、平家の援軍 伊予氏に 「屋島合戦は 源氏が勝利したから 行っても無駄」と 嘘の情報で 引き返えさせた場所だったとか。
もし 援軍が 屋島に 来られたら 歴史は 変わっていたようです。
義経の悪知恵を モーニングのかわぐちかいじ先生の ジパングで 読んで学んでいますが、更に そんなエピソードまで知らされて 判官贔屓を やめたくなるような。

伊予西条は、予定外でしたが、各駅停車の電車が相当長く停車するので、ふと思い出した「鉄道文化館」へ寄ることにしました。
まさかの30分停車!

渡りに船です。車窓から FGT フリーゲージトレイン二次試験車(GCT01-201)が見えます。
30分の停車では かなりの早足が必要と思っていましたが、駅裏ですが 跨線橋からすぐなら安心です。
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駅裏になります。跨線橋からの景色。
右手の小さな線路は ミニ鉄道を 年に数回走らせるためのものだそうです。
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第2世代の 軌間変換車両は JR四国で 数年前まで 実験していました。
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長崎新幹線で活用の予定が フリーゲージトレイン3次車では 原因不明の亀裂が入って現在放置されています。
北陸新幹線も これを採用の予定だったのが、ダメになったようです。
スペインのRENFEが古くから走らせているTALGOは軌間変換列車の成功例です。
タルゴⅠは TEEの特急として開発され、タルゴⅡ から 第7世代 タルゴⅦ まで外観がまるで違う列車になっています。
タルゴⅦは、AVEでなく、ALVIAやALTARIAというちょっとかっこいい特急客車です。
( * タルゴ350は 残念ながら 軌間変換車でなく AVE102というアヒル顔の電車です。日本人受けしないデザイン。こちらは タルゴ社の350という意味です。)

鉄道文化館は こちら 北館と 線路を隔てて 南館に 分かれています。

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北館は JR四国を走った ディーゼル急行 と 
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ディーゼル機関車 DE10 と
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蒸気機関車 C57 の 3両が 屋根の下に 飾られていました。外には 車輪とか 信号機が 展示されていました。
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こちらは 南館。入場料は 共通です。
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こちらは ディーゼル機関車DF50 と 
0系新幹線が 飾られていました。
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板張りで 靴を脱いで入るスタイル。

外へ出ると 十河信二総裁の記念館が ありました。東海道新幹線を 発案した国鉄総裁です。西条でなく お隣の 現在 新居浜市のご出身だそうです。

なんと 3館に 分かれて建っていました。
慌ただしく 名残惜しくも 停車中の各駅停車に 乗り込みました。
かなりの方が ボクの 見学中も 車内に 残って待っていらっしゃいました。



 

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宗像港で乗り継ぎ、いよいよしまなみ海道を満喫します。
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なんとも素晴らしい景色です。
しまなみ海道の上を走るより 絶対すごいです。
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大島です。
今まで知らなかったのですが、天下の今治造船の本拠地はこちらだそうです。
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今治港へ入ってきました。
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四国へ上陸しました。

大崎上島 
名残惜しくも 
山陽本線方向へ向かう予定でしたが、清風館の露天風呂からの景色と、前日の夕食で 愛媛から来られている方が居て
この島から 今治へのフェリーが出ていることが わかりました。

一晩考えて 四国へ 渡ることにしました。もちろん フェリーの時刻表も 調べました。
まつもさんが こちら方向へ用事があるとのことで 送っていただけることに。
足がなかったら こちらの港まで たどり着くだけで大変です。  IMG_1533
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木江港でなく、「天満港」です。
10:50発のフェリーに乗るつもりでしたが、 
おかげで 二本早い7:40発のフェリーに 乗ることが できました。
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実は このフェリーは 今治へは行かないのですが お隣の島 大三島の 宗方で 乗り換えできるそうです。
(車の場合は 乗り換えできない)  
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フェリーの到着前に 徒歩客は ふ頭の微妙な場所へ移動して待ちます。
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フェリーに乗ると すぐ チケットを取られてしまいます。今治までなのに?
「どうしたら 乗り継ぎ券もらえるの?」
と聞くと 「待ってろ」の一言。
5分くらいして 乗り継ぎ券を もらえました。よかった。


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大三島の西の端 宗像港到着です。
 宗像港での乗り継ぎ客は おばあちゃんとボクだけでした。
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乗り継ぎと知っていながらも、次の船が来るまでは なんとなく不安でした。
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でも、ちゃんと来ました。
とても小さな船でしたが。
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大崎上島 唯一のホテル には 温浴施設が あります。
木江温泉 「ホテル清風荘」です。
http://hotel-seifukan.co.jp/  
是非に シェアハウスのまつもさんと ファームスズキの若女将に 勧められたので
行くことにしていました。
(日帰り入浴で 700円 なんとタオルも貸してくれます) 
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なんと 結構な坂道を登り さらに 脇道を登ったところに ありました。
自転車で登るのは ちょっと大変です。
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坂の途中に

ホテルの少し手前に こんな灯台が ありました。
中ノ鼻灯台です。
元々山の上なので こんなに低くても 事足れりです。
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ぎりぎり人がいない隙に 脱衣場から撮りました。
この写真は お風呂からでは ありませんが これとほぼ同じ風景を見ながら 露天風呂に 入れました。
向かいの島と島の間を抜けると 今治への航路です。
さすが 町の人が 勧める温泉です。
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よかったですよ。
一緒に ゆっくりしたのは 広島県民でした。初めての人と だいぶ久しぶりの人。
羨ましいです、フェリーで こんな景色の温泉に 気軽に来られるのは!

温泉を ゆっくり楽しみ その後が 結構大変でした。
もと来た道を戻れば楽だったけど、島を一周したかったから。
時計回りでしたが、こちら方向は あちこちに 坂道を登らないと いけません。
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坂を上ったところに、恋地トンネルがありました。 
 最後は ヒィヒィ言いながら 坂道を 押して歩きました。
 

島の道は ほとんど静かな瀬戸内海を眺めながらの 気分がいいものでした。
木江の先に かもめ館 という 不思議な建物が ありました。
「木江港交流倶楽部 かもめ館 」
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誰も いません。
主には 集会所 ちょっとだけ 持寄りの 無人販売があり、
この塔は 螺旋階段で 崖の上に繋がっています。
この山の上に 地元の人に 大事なお寺が あるようです。
こちらの 造船所は この大きなクレーンが 日曜にもかかわらず 稼働していました。
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鉄の熊モニュメントが ありましたけど、坂道を自転車で登り 疲れ気味で 近寄りませんでした。
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船の形の建物があります。 「木江ふるさと郷土館 」だそうです。


@    @   @ 余談ですが

 大崎上島を旅先に選んだのは 2013年公開の
山田洋二監督の 「東京家族」のロケ地を調べたことに遠因があったようです。

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この建物は どちらだったか気が付きませんでしたが、たぶん近くを通っていたはずです。
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フェリーの港は木江の天満港だったそうです。
撮影には、大崎上島だけでなく、大崎下島も使われたそうです。 

島の裏側 木江の町。
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5階建ての木造建物が あります。
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木江の町は 風待ち港として 流行っていたのですね。
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残念ながら 木造2階建て 3階建ては 並んでいますが だいぶうらぶれています。
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この島には 神社や 道祖神 お地蔵さんとか 多いです。


 

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ファームスズキさんを出ると すぐ 造船所の廃墟が ありました。
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瀬戸内の離れ小島かと思いきや 造船所の数が半端ないです。
残念ながら100以上あったものが もう20弱らしいので、
最盛期には さぞ多くの従業員がいたのだろうか と認識を新たにしました。
こちらは どう見ても稼働していないようですね。

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山陽本線などでも、一部瀬戸内海の島々が見られますが、
こちらでは ほとんどずっと海岸線にそって道路があり、ぜいたくな気分です。
もっともここ自体が島なのですが。
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こちらの造船所は大丈夫なようです。
石灰が採れるのですね。
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「山尻シェアハウス Chikara  」
広島県 大崎上島町中野   
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エアBnB で 予約しました。
大崎上島でも 山の途中の その名も 山尻 という集落の ごく普通の民家です。
交通は 必ずしも 便利では ありません。
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2泊しました。
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柑橘類が 豊富です。こちらで 育てているわけではなく
隣近所からのおすそ分けが 食べきれないほど 来るそうです。
デコポンも ありました。
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こちらは エアBnB と 就農などの 移住を試みる若者が お試しで 長期宿泊する人たちが多いです。
何にもない島だけど 就農 移住を試みる若者が多い島だそうです。

島なので 海に近いかと思いきや 山の中だったのは 不思議でしたが 2泊3日 楽しく過ごしました。
一人部屋 素泊まりで 3200円くらい。
共同自炊で 食事は 一人500円です。(ボクは 作るのは手伝っていませんが)  

若いって いいですね。それぞれ 目標を持っています。

 

さほど大きくはないけど 小さい島でもありません。自転車をレンタルして 周りました。
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今でも 夏季シーズンには 塩を作っている ファームスズキさんは
牡蠣や 車海老を養殖して 予約制のレストランを やっています。
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当日予約で ギリギリ入れました。
人気店で でも この日は ドタキャンが あったようです。
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牡蠣の アラカルトです。
残念なのは ご飯は メニューにないこと。
軽くワインを飲みました。
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車海老を 焼いてもらいました。サイズは お任せで ちょっと小さいのが きてしまいました。
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牡蠣のアヒージョ パン付き。
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燻製のセット。これは お隣のカップルの注文を 写させてもらいました。
彼らは お向かいの 西条(広島の 四国は 伊予西条が あります) から ドライブで来られたそうです。

瀬戸内海に 恋しています。
最近では 鞆の浦。でも もっと昔 若い頃に しまなみ海道が 開通するより 相当昔に 生口島と 大三島に 行った時の思い出が あります。
昨年 大三島に行ったけど しまなみ海道で 有料道路で繋がっている島になっては 魅力が 落ちます。
本土と 橋で繋がっていない島に 興味が つきません。
ここ 大崎上島は お隣の大崎下島が 橋で繋がっているのに この島だけ 離れています。 
アクセスは 広島駅から 高速バスで 竹原行きが 直接 竹原港へ 繋がっています。
「たまゆら」ラッピングバスです。
JR呉線でも 竹原駅は ありますが、本数が 少な目です。また竹原駅から 少し歩くか 路線バスに乗り換える必要があります。
フェリーも たまゆら です。

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※    ※    ※   

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この日は 大崎上島に着いて 翌朝です。
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なんか 長い桟橋の先に 小型とは言えない船が停泊しています。
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広島商船高専の 専用船でした。
高専は 日本全国に そんなに多くないけど 中学を卒業して 5年間実務を学ぶ学校です。
その上 商船 というのは 今でこそ 日本人が 活躍の場を失ったけど 水産日本の 本来強みになって欲しい分野です。
ロマンですね。
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博物館? 
時間がなくて 寄れませんでした。

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海に少しだけ張り出した小さな木々。
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宮島ではありませんが 厳島神社!
と 常夜灯!
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静かな瀬戸内海です。
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こんな感じで 小さな湾が いくつもあります。
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生コン工場。

堀割りと 白壁の美しい 津和野は ほんの一部です。バラしてすみません。
でも 安野光雅美術館 などもあります。

でも 川を渡って その先も まだ 津和野街道は 続きます。こちらの建物も 郷土資料館 らしいです。

川を渡る橋の横に 山口線の鉄橋も ありました。
その先では 山口線の陸橋の下をくぐります。鉄道ファン 撮り鉄なら 気動車だけど いい写真を撮れるかも。3月終わりから 土日には 津和野行きの 蒸気機関車 津和野号も 走っていますし。


不思議な 猫の美術館 というのが ありました。
なぜか 都合によりお休み だそうでした。
残念です。
右手のお山には 津和野城跡、太皷谷稲成神社が あります。お城へは リフトが あるそうです。時間切れで 行かれませんでしたが。

目的地は もう少し先 
森鷗外先生の 生家、そして 記念館です。


大きくも小さくもない 普通のお宅です。
こちらだけの見学は 100円を 無人の箱に入れてください とのことです。
森鷗外記念館と 一緒なら 500円です。
森鷗外先生は 陸軍医長にまで上り詰め また 小説家としても成功している素晴らしい方です。
でも ボクは 東京のお宅とかは 見ていますが その人生 人となりは 知りませんでした。
ドイツへ何度も留学して 西洋医学を 取り入れるきっかけを作った方です。
でも それには 葛藤も いろいろあったようです。小説家としても いろいろ仲間を盛り立てるために 月刊誌なども 作っています。
人生の最後には 津和野へ戻って来たかったそうです。
最後は 肺がんで 亡くなりました。病状は 医者ですから よく知っていたようです。
その治療は 頑として受けなかったそうです。
翌年春には 津和野へ帰る と 約束して 石見人として死にたい と 言ったそうです。
できれば ゆっくり 展示の文字を読んで欲しいです。

川向こうには 森鷗外を 取り立ててくれた 津和野の偉人 西周先生の お宅です。
時間切れで こちらも お邪魔していません。明治の偉人 切手にもなった方ですが 
ごめんなさい 今度 勉強します。



津和野駅で 卵とおにぎり 260円 を買って 車上の人となりました。




津和野は 昔は ものすごい人気の観光地だったそうです。津和野で会った何人もの人が 口を揃えて 言っています。

堀割りに 鯉がたくさんいるところ というのが ボクの 津和野のイメージです。
(雨なので 水が濁っています  ) 

萩の近くなので 山口県と間違われますが ここは 島根県なのです。
人口 わずか8000人弱。昔は もっといっぱい人が住んでいたそうです。その後 近隣の町村との合併で なんとか この人口なのだそうです。若者は みんな東京 大阪へ出て 一部戻ってきた人がいます。オワコンだそうです。

亀井藩の 藩校 養老館 です。民族資料館に なっていますが 中は見ませんでした。
建物の外に 校庭らしきものもあって 意外に よさそうです。
そのお向かいに 
こんな古い建物が 津和野町津和野庁舎として 今も使われています。(本庁舎は 合併した時に 日原町に 移ってしまいました)  
この一角が 津和野のメインの場所です。
鷺舞は 津和野の5月のお祭りで 舞われるそうです。
その手前に 真っ白な 教会が ありました。
いい感じです。ちょっと雨が降っていて よく見ませんでしたが、実は こちらは 島原の乱の後 改宗しない長崎浦上のキリシタンを 流したところだそうです。こちらの教会は そんな大昔ではないけど 1931 (昭和6年)85年前に ドイツ人のシェーファ神父が 建てたゴシック建築だそうです。
( 後から ネットで調べました )  

この辺は 津和野街道とかで 中々素敵な建物が 並んでいます。
古橋酒造 「初陣 」というお酒が 有名だそうです。旅は 始まったばかりなので 得意の 酒粕だけ お土産にしました。

今治城 今治港から 近い海近くに あります。

ちょっとずれると 天守閣が 見えて来ました。


この門の手前に もう一つ門が あったそうです。
城造りの名人 藤堂高虎公の像です。

一番いい場所は 神社になっています。
しまなみ海道の橋が見えます。

藤堂高虎公の鎧 兜は たしか 伊賀上野城に あったような。

藤堂高虎公の墓所は 徳川家康公と仲が良かったため 上野 増上寺のあたりにあるそうです。相当偉かったのですね。


おまけ 

今治駅
駅前に なんと 
猿飛佐助像が。
今 話題の 真田幸村 いや 真田十勇士の立川文庫の作者 山田一族が 今治の方なのだそうです。

広島原爆ドーム 
お邪魔したのは 2回目です。
前回は 早朝だったため ほとんど人がいませんでしたが 今回は 朝から人が多いです。
皆さんが 見ているのは 日本語 英語 フランス語 に訳された 原子爆弾被害と エノラゲイについて などの資料。
元は こんな形だったのです。







なんにも言えない悲惨さです。

被爆者の 第一世代は ほとんど何も言わないそうです。
1.5世代の方が 今 語り部を やっていただいています。もうすぐ 語り継ぐ人がいなくなるかもしれません。
こちら 原爆ドーム前は 広島市や 日本政府からの援助はないそうです。

二度と こんな目に遭う人が でませんように!

木戸孝允生家。
以前には きどこういん と習いましたが 現在は きどたかよし だそうです。
江戸時代には 吉田松陰に山鹿流兵法を、学び  桂小五郎という名前で知られています。神道無念流の免許皆伝。京都の ホテル前に 立派な「桂小五郎座像」が あります。明治政府でも 文部大臣 内務大臣。
幕末には 芸妓 幾松との恋も有名 。
(その後 妻とした) 

こちらは 隣の空き地から 
裏手に周り入ります。入館料100円です。

中級武士の割には 立派なお宅 かと思ったら お抱え医師の息子だそうです。

この一角には 商家と 武家屋敷が 並びます。なんと世界遺産!
それも 明治産業のなんとか という 武家屋敷とは 関係ないのでは というおかしな世界遺産地域です。

高杉晋作 広場 です。
高杉晋作のお宅の敷地が狭いので こちらに建ったそうです。
その隣の路地に 高杉晋作の生家が あります。
こちらも 100円です。何軒かのセット券では 入れないそうです。

高杉晋作は 藩校 明倫館 で学び 松下村塾でも 吉田松陰に 見出されました。柳生新陰流の免許皆伝。武士のみでない志願兵を募り「奇兵隊」を作って 松陰のあとを継ぎましたが 志半ばで 病死しました。
狭いお宅に 中国人の観光客の皆さんが
来られていました。管理人さんは 韓国人の方に 歴史好きの方が 多いです と説明されましたが 彼らは 中国語 話していました。ほとんど日本語でしか説明ないけど わかりましたでしょうか。

塀の反対側の川の向こうに 行列が出来ていました。なんと 美味しいパン屋さんが 来ているのだそうです。日本人には 歴史よりパンです!

商家が 2軒 近くにありましたが 時間切れ、萩城跡 も 今回は パスです。
すみません。ミーハーで。

薩長同盟を 造った元に この人あり との 坂本龍馬ですが、萩に行くと 意外と 知っている人いません。
来なかったんじゃない? と言う人まで います。

でも ボクは 見つけました。
こんな石碑が あるじゃありませんか!
西郷隆盛さんは さすがに 入っていませんが、久坂玄瑞 と 坂本龍馬が 記されています。
これは 松陰神社の なんだか新しい建物を造っている場所の 裏手 トイレの脇にありました。多分 ガイドさんも これについての説明しないのでは という場所です。
ボクは 東萩駅から歩いて 塀の切れ目は どこかな と思いつつ来たら 塀の内側に なにやら 石碑があるけど なんだろう と思い 近寄って見つけました。
もっと大事にしないと!
いくら我が世の春の山口県人でも。

そして もう一ヶ所 
毛利家の藩校 明倫館。その明倫館の 体育館とも言うべき 「有備館」です。

こちらで 坂本龍馬も他流試合をしたそうです。
場所が ちょっと わかりにくいかも。

明倫館の門から そのお隣が 工事中です。
なんか造っています。
その右隣ですが 少し離れています。
明倫館小学校の 古い校舎。
一部は 保存するそうですが 建替えするようです。
通ってもいない 通りすがりのボクには 
取り壊すのは ちょっともったいない気もする古い校舎です。
歴史も大事だが 今生きてる小学生の学習環境も大事に ということでしょう。

萩は  若い頃 レンタサイクルで あちこち寄ったはずですが いろいろ記憶していません。やはり 二度三度訪れないと いけませんね。

伊藤博文別邸の 続きです。


こちらは 萩藩の時代には 下級武士の住む地域だったそうですが 現在 素敵な住宅街になっています。







伊藤博文初代総理大臣のお宅 行って来ました。
松下村塾のある松陰神社から すぐそこです。世界遺産になった松陰神社は 人が多いですが、こちらは 閑静な住宅地に ひっそりと建っています。
伊藤博文公の銅像が 空き地に建っています。
そのお隣に 伊藤博文公の育った家が あります。藁葺き屋根の さほど大きくないお宅です。
伊藤博文の育った家のお隣に 少し大きめな木造住宅が あります。こちらが 別邸です。
入館料は 100円です。実は こちらは 東京都品川区大井町から 移設されたもので 元の大きさの三分の一くらいです。

ところで、育った家 というのは 伊藤博文公は 生まれは 萩ではありません。
同じ山口県でも 現在の光市と 山陽側です。林十蔵の長男 林利助として生まれました。百姓の子どもとして育ちましたが 破産して 父は 萩へ。数年後 父に呼び寄せられ 萩へ。父親の勤勉さと 彼の頭のよさが買われ、13歳の時に 父親と共に 伊藤家の養子となり 親子して足軽の身分となったそうです。つまり 下級武士の端くれに なったということです。
それでも 江戸に派遣された際に 上司に 気に入られ そのつてで 吉田松陰の松下村塾に 入塾します。身分が低いため 塾の外で立聞きの 授業中だったとか。
吉田松陰の目にも止まり 京都派遣され その時 桂小五郎( のちの 木戸孝允) の従者になった。
なんだか わらしべ長者みたいな出世物語です。総理大臣を なんと4回も務め 最後は ご存知の通り 朝鮮総督で ハルピンで 安重根に暗殺されたのです。
これは 伊藤博文公別邸で 漫画版 伊藤博文を 途中まで読んだ 感動の話しの一部です。
この建物 よく残してくれた という思いと なぜ全部移築できなかったのか の思いが 半ばします。


この廊下の天井は 一枚板の 節一つ無い 長い檜です。
これに対して 
節だらけの板を 茶室の次ノ間に使うという 。
写真を撮るのは 自由です。もっといっぱい撮りました。是非 見に行ってください。
( 伊藤博文公の写真など 展示物を 別途 ブログします    ) 

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