2015年11月
11/29 「E655 和 なごみ」「E235 横須賀線」の 団体臨時を見に行きました
最初は その気がなかったけど、急に 思い立って 東京駅と 品川駅に 行ってみた!
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まず 東京駅だが、
「大人の休日倶楽部」は 和 (なごみ)で
房総半島 大原への団体臨時列車なので
丸の内地下の総武線ホームか はたまた
房総の特急が出発する京葉線ホームなのかを 推理しない といけない。
ボクの推理では
横須賀 総武線ホームだった。
総武線へは 主に 3-4番線 たまに折り返しでは 2番線も使う。
しかし 時刻表を よく見ると 3番線が 朝の7:00〜9:00にかけて まるっきり使われていない。
なので こちらを目指したら、早めに
「大人の休日倶楽部の皆様には 3番線 」とのアナウンスがあった。
一安心する間もなく 3番線には まだ入線していないホームに ずらっと並んでカメラを構える人の数!
これは 人がはけてから写したけど、入線する時は 撮り鉄 だけでなく、乗車する人たちも この列車の写真を撮るため 大変だった。
地上の姿を撮りたくて、錦糸町へ。
先客は 4人。しかし、両国方向の スペースは 4人で いっぱいだった。
なので 少し離れて 写す。
なんと 9時少々で 完了!
なので、この日の E235の 鎌倉 横須賀線へのツアーの出発を 見に 転進。
ところが、品川駅 8番線臨時ホームは 階段で 参加者以外は ブロックされていた。
なので、と 9番線へ。なんと E235出発の 9:52 まで 9:55発の15輌編成 常磐線が ブロック!
それでも 9番線は 出発時の撮影のため、この人だかり。
やむなく、11番線へ 移動したけど こんな感じ。
品川駅は 7番線が 壁で仕切られ 隠すのに もってこいのようです。
どうせ 翌日11/30から営業運転なのに みんなで 無駄な行動しています。
渋谷駅構内 山手線内回りホーム ラーメン「ラ王 袋麺亭」行ってきた (悲報 閉店していました 2017 )
※追記 (悲報 ) 長い間 あったので 安心してしばらく行かなかったら、いつの間にか閉店していました 2017 )
前々から行きたいと思っていたけど、
渋谷駅で乗降する際は つい寄りそびれてしまっていました。
今回は このお店に入ることを目的の一つとして 渋谷駅へと訪れました。
どちらのホームにあるか、わからなかったので 忙しそうな駅員さんに お聞きしたら 「山手線内回りのホーム この先にある」とのこと。
すぐそこのは、アジサイ亭 蕎麦屋さんです。
もう少し先、中央改札の階段下に ありました。
派手な紫色です。
券売機は ありません。
中へ入ると
「ご注文のお客様が おりますので 順番にお作りしております。約10分かかりますが、お時間はよろしいですか?」
と 先手を打たれる。
大丈夫 と答えると 券売機は?
「カウンターで 請けたまっております」
とのことでした。
カウンター内には 女性が二人で、1人は ラーメン作り もう1人は ほぼ お客様対応です。
種類は 4種類 どれも 263円です。
営業時間は 10:00〜22:00です。
醤油ラーメンを お願いしました。
番号札は 1から 8までで フル回転です。
渋谷駅は 道玄坂1-1-1 だったのですね。
席は10席で、しばらくすると 「狭い店内にお待ちの場所は ございませんので、お待ちのお客様は 店外で 壁に沿ってお並びください」となりました。
10分は かかりませんでした。
あの 「ラ王袋麺」で作ったラーメンでも チャーシュー メンマ ほうれん草 ゆで卵半分で しっかりした見栄えです。
うーむ、美味しい!
インスタントラーメンだからと言って 馬鹿にできません。
さすが 日清のアンテナショップ、263円で 十分な満足感を与えてくれます。
若い女性客も 多く 人気店になっているようです。
また来ます。
東京散歩 「紅葉の奥多摩ハイク」いろは楓が 真っ赤です 4 (最終回)
(続き)
農家の軒先には ゆずの無人販売です。
100円で 4つは ちょっと多いけど 買いました。
あんな上の方に トロッコ鉄道の廃線跡の橋が。こちらは 奥多摩湖 小河内ダムを作る時の資材運びのために作られたそうです。なんだかもったいないですね。
怒った弁慶?
と思ったら違いました。
弁慶が 岩に 拳で穴を開けたとか。
弁慶 こちらへ 来たのかしら?
階段の上に 神社が ありました。
崖が せり出しています。
崖を押すポーズ。
意外や 中々 うまく決まりません。
ん?
上のは 先ほどの トロッコ鉄道の廃線跡、
下は 現在も 使われているモノレールです。これがないと わさびの生産も ままならないそうです。
すごいですね。
まだまだ 紅葉も楽しめます。
紅葉は まだまだ楽しめますが、少し暗くなりつつあります。
帰路を急ぎました。
帰りも 「ホリデー快速 奥多摩号」に 乗り遅れ 乗り継いで 新宿へ。
(終わり)
東京散歩 「紅葉の奥多摩ハイク」いろは楓が 真っ赤です 3
東京散歩 「紅葉の奥多摩ハイク」いろは楓が 真っ赤です 2
東京散歩 「紅葉の奥多摩ハイク」いろは楓が 真っ赤です 1
東京は 黄色の銀杏並木は 多いけど 楓の赤は 京都に かなわない気がしています。
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でも、
奥多摩の紅葉も ちょうど良い季節です。
青梅線終点 奥多摩駅。
相変わらずの 山の駅です。
新宿から 立川まで 「ホリデー快速 富士山号 河口湖行き」に 乗りました。全席指定かと思いきや 自由席もあったので ラッキーでした。
奥多摩駅のバスは 「ホリデー快速 奥多摩号」に 接続しているので ボクのイレギュラーな到着では 30分待たされました。
奥多摩湖で 降ります。
ほとんどのバスは こちらを 通ります。
東京都の水がめは 満水です。
「007 スペクター」 ボンドカー アストンマーチン DB10 有楽町 阪急MENS に 登場
ご存じ ジェームズ ボンドの ボンドカーは アストンマーチンなのですが、
先日 銀座ソニービルでの 敵方の車 ジャガーの Fタイプ(よく似た車?)が 展示されていて、「ボンドカーは 阪急MENSに 来る」と 教えていただいた。
有楽町へ来るチャンスがあったので
阪急MENS東京へ 寄ってみました。
有楽町マリオンの ルミネとの通路側の柱が この実物より大きなダニエル クレイグのポスターで お出迎えしていました。
おっ、ちゃんと 1階に 飾られていました。今までの ボンドカーは 市販車だったのが、今回のものは 市販車でなく わざわざ この映画のために作られた世界限定10台の アストンマーチン 「DB 10」なのです。ローマで 撮影に使われました。
日本公開に 先立ち
11/18〜19 阪急MENS大阪
11/21〜12/3が ここ阪急MENS東京
12/4~7 アトランティックカーズ、
12/8~12が アストンマーティン赤坂
での展示の予定です。
するどいヘッドライト!
リアも ちょっとするどいです。
阪急MENS と ソニービルの二つの会場で 007 封切りまで イベントが 色々ありました。
ボンドのシャンパンは 土曜日のみ 買い物したレシートで 先着順で 振舞われるとか。
ソニービルは 11/27で ジャガーから レンジローバーに バトンタッチだそうです。
上の階で 007 のポスター展も やってるようです。
なぜか 前回封切りも前々回もソニービル寄ったことを思い出しました。前回 アンケートに答えて 写真を撮って ボンドの身分証明書カード を作ってもらったけど、あれ どこいったかな?
映画 「007 スペクター」は 12/4〜封切りですが、先行ロードショーが 今週末各地で 上映されているようです。
メキシコの使者の祭りから始まり 世界を転戦します。しかもボンドガール 2人とか。予告編 ちらっと見てしまいました。12/4が 楽しみですね。
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大井町 せんべろを 求めて 「立ち飲み処」というお店
なんと 「立ち飲み処」という名前のお店。
東急大井町駅の すぐ近くです。
お酒も でこぼこはありますが ほとんど300円。一の蔵は 400円。
キャッシュオンデリバリー。
ししゃも 200円で 5匹、お得です。
あさりの酒蒸し 300円。
テレビも 2台ありました。
ほとんどのメニューが 200円か300円です。
よかったです。
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大井町 せんべろを求めて 「前川肉店」
大井町の駅近くに 立飲み屋さんが 多い地域がある と聞いて 行ってみました。
もう 17:00前から 飲んでる人 多いですね。大井町駅は 何回か降りたことはあったけど、こちら側は ノーマークでした。
本物の肉屋さんです。
日本酒 コップ酒 250円
なみなみと注いでくれます。
メンチカツ 130円 切ってくれます。
牡蠣フライ 80円を2個
これで 結構お腹にたまります。
もう 18:00前には お店の中も 外も かなりいっぱいになりました。
缶ビールを 並ばずに 飲もうとして 常連さんに 怒られてるお初の人がいました。
あは。
欠点は 灰皿があり過ぎること。
せんべろ 本当に 1000円以下で済みそうです。
新橋 せんべろ「たち飲み 吟」 駅前ビル1号館地下
新橋駅前ビルの地下 立飲み「へそ」の 真向かいのお店 「吟」です。
こちらは 入口が2つありました。
JRの横須賀線改札からの地下街側の入口。
こちらは 駅前ビルの方の 入口。
割安な飲み物の値段が並びます。
こりゃ入るしかないでしょう。
カウンターの上に 小皿料理が並んでいます。だいたい300円台です。おでんは一つ 80円〜120円くらい。
飲み物は 日本酒の 銘柄ものが やはり500円台くらいから並んでいます。でも 先ほどの お得な飲み物を選びます。
日本酒2合は 熱燗専用だそうです。420円、おでん3種で300円 茄子の煮物320円 締めて 1040円。キャッシュオンデリバリーです。
こちらは 17:00開店で 出足は いくらか緩やかでしたが、そのうちいっぱいになりました。ここも人気店ですね。
意外や お隣の へそには みんな行っていないようです。棲みわけが できているようです。
ビルの地下街も
こんな感じに 客足が増えています。
駅前ビルの2号棟の地下も 怪しげに 立飲みが 集まっています。そのうちに 。
新橋 せんべろ 「立呑み処 へそ」
各地に 立飲みは 増えています。
新橋には ビルの中に 居酒屋路地があったりして なくなりつつある昭和の香りが残っている。
「立飲み へそ」は 新橋駅前ビル1号館の 地下の 一番奥 というか、JR横須賀線の新橋地下改札に 近い。
入口は 狭いが、こんな派手なポスターが 惹きつけます。16:00前から 中には お客様が いっぱいいるようです。
何時開店かしら?
一旦は 通り過ぎたものの、舞い戻り 入店しました。
飲み物と ハムカツセット550円 晩酌セット750円 豚ロースカツセット850円 牛ステーキセット950円 が お得なようです。
ボクは セットにせず、芋焼酎ロック 340円 そして きゅうり一本漬け180円 炙りたらこ380円を 頼みました。
飲み物は 340円くらいで 並んでいます。
日本酒は 銘柄が 獺祭から 5種類くらいお勧めになっています。もちろん300円台では 飲めません。
テレビが 2台ありましたが 別々のチャンネルで ボクの立ち位置からは よく見えませんでした。
まぁ、お酒は 特別安くは ないので せんべろは 1000円台を意味するようです。
カウンターと 5つのテーブルを配し 狭いながらも 楽しい飲み屋に なっています。
上毛電鉄 沿線散歩 09 中央前橋へ (最終回)
上毛電鉄 沿線散歩 08 大胡車庫 4
(続き)
上毛電鉄 すごいです。タイミングが合わなくて 地方鉄道に なっていますが、なんと 横浜まで繋がる計画が あったそうです。
発電して 電気を供給していたそうです。
なんか 色々 すごい話が ありそうです。
初期のヘッドライトのランプです。あっという間に やたら発熱します。
なんでしたっけ?
もう一度 ご教授していただきに 伺わないと いけませんね。
歴代の 上毛電鉄の 電車の写真です。
西武鉄道時代 東武鉄道時代を経て 現在の 京王電鉄時代に なっています。
大したものです。
最後に 見学料 170円を お支払いして 硬券の入場券を いただきました。
見学料は 無料 で 入場券を買った感じです。
本当に ありがとうございました。
上毛電鉄 沿線散歩 07 大胡車庫 3
(続き)
ボク一人のために 熱心に 案内していただきました。ありがとうございます。
(無断撮影して すみません)
こちらの 101電車の 正面みたいなもの これは イベントの時の記念撮影用です。
手作りですって。
モーター一つで かなりの大きさです。
これも手作り!
台車一台でも こんな感じに 説明図付きだと理解が 深くなりそうです。
シュミレーターの外枠も 手作りです!
確かに あるのとないのでは 気分が違いますね。
大工さんじゃなくて ずっと運転士さんだったそうですが、器用ですね。
車庫の外に もう一つのターンテーブル。
こちらで 台車と 客室を 外します。
そして 京王電鉄に トラックで運び出し 整備してもらうのだそうです。
合理的です。
はとバスのコースにも こちらの見学が あるそうです。こんなのも企業努力ですね。
(もうちょっと続きます)
上毛電鉄 沿線散歩 06 大胡車庫 2
上毛電鉄 沿線散歩 05 大胡車庫 1
上毛電鉄 沿線散歩 04 富士山下駅 大胡駅へ
上毛電鉄 沿線散歩 03 西桐生駅 新田義貞
桐生織物会館には、新田義貞の絵巻が展示されていました。
新田義貞は、この桐生のちょっと奥まったところの出だそうです。
新田義貞は、足利尊氏の命を受け、鎌倉幕府を滅ぼした名将です。
鎌倉は三方を山に囲まれ狭い切通しに阻まれ、
残りは海であったため、攻め入るのが大変でした。
そこで、新田義貞は、稲村ガ崎で、海の神に祈り 太刀を投げ入れたことで、
潮が引き そこを渡って攻め入ったとの伝説が残ります。
鎌倉幕府を倒した後、
足利尊氏と袂を分けた新田義貞は、天皇側に付き、戦うことになった。
そんな歴史絵巻を見て、
こちらを後にする。
桐生の中心の本町通商店街には、三越も軒を連ね、
見所もありそうだったが、それは次回のお楽しみに。
西桐生駅に戻る。
駅に戻ると、クラシックなポスターがあった。
なんと昔のポスターでなく、現在のトレインウエディングでした。
上毛電鉄、がんばっています。
レールを触ると 願いがかなう という。
次の電車が来ました。
なんと最後尾のドアしか開いていません。
先頭車には、不思議少女が いました。
到着した電車から降りて、電車の端に寄りかかって、ずっといるのです。
「ドアは後ろしか開かないよ!」と 言ってくれるのですが、
それよりどいてくれないかなあ~
新田義貞は、この桐生のちょっと奥まったところの出だそうです。
新田義貞は、足利尊氏の命を受け、鎌倉幕府を滅ぼした名将です。
鎌倉は三方を山に囲まれ狭い切通しに阻まれ、
残りは海であったため、攻め入るのが大変でした。
そこで、新田義貞は、稲村ガ崎で、海の神に祈り 太刀を投げ入れたことで、
潮が引き そこを渡って攻め入ったとの伝説が残ります。
鎌倉幕府を倒した後、
足利尊氏と袂を分けた新田義貞は、天皇側に付き、戦うことになった。
そんな歴史絵巻を見て、
こちらを後にする。
桐生の中心の本町通商店街には、三越も軒を連ね、
見所もありそうだったが、それは次回のお楽しみに。
西桐生駅に戻る。
駅に戻ると、クラシックなポスターがあった。
なんと昔のポスターでなく、現在のトレインウエディングでした。
上毛電鉄、がんばっています。
レールを触ると 願いがかなう という。
次の電車が来ました。
なんと最後尾のドアしか開いていません。
先頭車には、不思議少女が いました。
到着した電車から降りて、電車の端に寄りかかって、ずっといるのです。
「ドアは後ろしか開かないよ!」と 言ってくれるのですが、
それよりどいてくれないかなあ~
上毛電鉄 沿線散歩 02 西桐生駅 桐生織物会館 ジャガード織り機
上毛電気鉄道の 片側の終点 西桐生駅。
桐生の町は 歩いて回れる範囲に 古い建物が 点在するようです。
とりあえず JRの 桐生駅に 向かいます。
桐生駅前交番。立派です。こちらは 平成になって建て直された 桐生明治館を模した建物だそうです。
桐生織物会館。昭和9年 織物組合の事務所として完成。
桐生織物は 古くは 奈良時代まで遡り、
江戸時代に 西陣織と西洋の技術をいち早く取り入れ
この地域にある養蚕を元に 絹織物を産出し
先日 世界遺産に登録された 富岡製糸場と共に 明治時代には 大変栄えました。
ジャガード織りの型紙です。
このように織られます。
そして、これが型紙から作られた 紋紙 と称するもの。
オルゴールの演奏用のものと似ています。
指差されたところに、紋紙がつるされています。
この桐生は 古くから 三越、高島屋が支店を設け、共に稼いでいたようです。
びっくりするのは、現在でも三越の支店が存在することです。
そして、横浜銀行の支店もあります。
横浜港を通じて、輸出していたという繋がりがあるそうです。
絹織物が廃れた現在も、化学繊維を使って、生き残っているそうです。
江戸時代に 西陣織と西洋の技術をいち早く取り入れ
この地域にある養蚕を元に 絹織物を産出し
先日 世界遺産に登録された 富岡製糸場と共に 明治時代には 大変栄えました。
ジャガード織りの型紙です。
このように織られます。
そして、これが型紙から作られた 紋紙 と称するもの。
オルゴールの演奏用のものと似ています。
指差されたところに、紋紙がつるされています。
この桐生は 古くから 三越、高島屋が支店を設け、共に稼いでいたようです。
びっくりするのは、現在でも三越の支店が存在することです。
そして、横浜銀行の支店もあります。
横浜港を通じて、輸出していたという繋がりがあるそうです。
絹織物が廃れた現在も、化学繊維を使って、生き残っているそうです。
上毛電鉄 沿線散歩 01 赤城駅から
上毛電鉄 沿線散歩 00 東武鉄道伊勢崎線にて
上毛電鉄 に 乗りに行きます。
今回は 序章 東武鉄道で 接続駅 赤城駅を目指します。
東武鉄道は 栃木県 群馬県に いくつも支線を持っています。
とうきょうスカイツリー駅です。
ここは 最近 スカイツリー ラインと 呼ばれています。東武動物公園駅で 分岐して 伊勢崎線に入ります。
そして、太田から 赤城駅は 桐生線です。
特急は とうきょうスカイツリー駅にも停まると思っていたら 9:00台は 通過でした。
上りの 「しもつけ」は 停まるのですね。
この色のスペーシアも好きです。
東武動物公園駅にて、特急りょうもうを待ちます。
最初 違和感があったオレンジ色も 最近は 当たり前の東武のカラーになっています。
りょうもうは 2本に 一本が 赤城行きで もう一本は 太田止まりです。
太田駅で 桐生線に乗り換えて、赤城行きに 乗ります。
赤城駅の近くは 東武鉄道の単線と 上毛鉄道の単線が 仲良く並んで 複線のように並んでいます。
赤城駅 手前 上毛電気鉄道とも 渡り線が ありました。
左側が 東武鉄道の赤城駅、右側が 上毛電鉄の赤城駅です。
東武鉄道は頭端駅です。
駅舎は 一緒で 上毛電鉄の踏切を渡ります。
台湾高鉄 「故宮博物院南院」渋くてかっこいいラッピング車
日本の希少車 車高の低い「ダイハツ SONICA」全車ターボ軽自動車
先週 町を歩いていて 見かけない車を 見ました。
遠目にも 車高の低い車です。
なんでしょう?
2006年9月から2009年6月までの 2年10ヶ月のみ発売されました。
ダイハツ ソニカ SONICA
全車 3気筒DOHCターボ車です。
全高は 1470ミリ。
2WDと 4WDが存在します。
なんと 軽自動車で 約10年前の車なのに、キーレスエントリーする車だそうです。
2007年に 省エネ大賞受賞していました。
Wikipediaからの受け売りです。
この車のレビューを見ると 不満な人は いないようです。好きな人は 好きな車 だけど 売れなくて あえなくラインナップから消えたようです。
生まれてくる時代が 悪かったのでしょうか。
伊豆の旅 北条氏の屋敷跡 北条政子の井戸 堀越御所跡 八重姫など
レンタサイクルのおかげで チャチャッと回れました。
蛭ヶ小島から まっすぐ 韮山駅近くの踏切を渡って 少し裏手でした。
この辺りには 北条氏の屋敷が あったようです。
まずは
北条政子の産湯の井戸 です。
住宅前に ちょこんと ありました。
近くに 願成就院が 政子の父君 北条時政の墓所であり、政子地蔵菩薩なども
所蔵しているようですが、
今回は パスしました。
所蔵しているようですが、
今回は パスしました。
そして
こちらは、鎌倉時代ではなく、その後の 足利幕府の時代の遺跡でした。
広場として 保存されています。
足利政知氏が 鎌倉公方に 任命されて
鎌倉へ向かったが 途中で 戦乱があって 鎌倉まで出向かず
こちらに 「堀越公方」として とどまってしまったとのこと。
こちらに 「堀越公方」として とどまってしまったとのこと。
※ (なるほど、このおかげで 鎌倉には
鎌倉公方の土地が 主が訪れることなく
残された入会地が 明治時代までありました。
残念ながら 明治時代には 入会地は 主のいない土地として召し上げられ、
残念ながら 明治時代には 入会地は 主のいない土地として召し上げられ、
その後 払い下げされて 住宅街になって 跡形もありません)
現在は こんな感じです。
そして その先
狩野川へ 突き当たります。
その辺りが 北条氏の屋敷跡です。
こちらも こんな具合です。
その後 お寺になって、それもなくなっています。
史跡以外は ちょっとハイキングできる守山西公園として 小山が 整備されている。
狩野川。
狩野川から もう一つの小川の合流点に
こんなに水量のない川に こんな水門が
ありました。
こちらは 昭和33年に 狩野川台風で 大きな被害が あったそうです。
川沿いに道を進むと、
こちらは 源頼朝と 最初の恋仲になって 子どもまで成したのに
子どもは 平氏への忠誠のため、取り上げられ 挙句に殺されました。
八重姫も 座敷に閉じ込められました。
子どもは 平氏への忠誠のため、取り上げられ 挙句に殺されました。
八重姫も 座敷に閉じ込められました。
その後 八重姫が 頼朝に会いに行くと 頼朝は すでに 政子と婚礼を挙げていた。
八重姫は この世を儚んで こちら真珠ケ淵で 入水されたとのことです。
八重姫は 万願寺に葬られたが 万願寺が明治時代に廃され
こちら 真珠院に移されたそうです。
(4月第2日曜日 盛大な供養祭が行われるとのこと)
こちら 真珠院に移されたそうです。
(4月第2日曜日 盛大な供養祭が行われるとのこと)
真珠院には 八重姫御堂が あり 八重姫像が あるそうです。
(お寺には 入りませんでした。)
八重姫の悲恋物語を 思い出しました。
北条氏の遺跡は 菩提寺以外 ほとんど何も残っていませんが、
その時代を想像して素晴らしいところです。
その時代を想像して素晴らしいところです。
伊豆長岡駅までは あと少しです。
伊豆の旅 源頼朝の 「蛭ヶ小島」
若い頃 友人と伊豆に来た時に 寄って 本当に 久しぶりです。
「蛭ヶ小島」
この石碑が 増えたくらいです。
駐車場と 。他に何もありません。
あと 以前には無かった古い藁葺きの民家が 移築されてありましたが。民具と農具が ありました。
と思っていたら、
少し離れて 「頼朝と政子の 像」が 新たに建っていました。頼朝30歳 政子20歳 という設定だそうです。
蛭ヶ小島 って 島だったイメージですが、
よくわかりません。この辺りは 3つの川が 流れを変えながら流れていた湿地帯だったようですが。
※ この 蛭ヶ小島とは 関連ありませんが この近くに 韮山反射炉を造った 代官江川氏の邸宅が あるそうです。
(途中で 道を間違えて たどり着けませんでした。)
世界の名車 「フィアット500 」あの ルパン三世の愛車
フィアット500は かわいらしい車です。
二代目の FIAT 500 です。1957年から1977年まで製造された車です。
人気の秘密は なんでしょうか?
ルパン三世のおかげで 日本人に有名な車なのですね。
2007年から 復活した 現在の 三代目 !
雰囲気は 二代目に 似ています。
初代は 全然違う車です。
500は イタリア語で Cinquecento です。
発音は チンクエチェント で
チンクエが 5で、チェントが 100です。
なので フィアット チンクエチェント で いいのかと 思っていたら ややこしい事実が 判明しました。
FIAT Cinquecento という車は
別に 存在するのです。
これです。
実は ポーランドのFSMという会社を買収して子会社にした際 500の 人気に あやかって この車に FIAT Cinquecento と 名付けたそうです。(1992年〜1999年)
ややこしいですね。
Wikipediaからの 受け売りでした。
伊豆の旅 「韮山反射炉」 世界遺産おめでとう!行ってきました
韮山反射炉 に 行ってきました。
伊豆長岡駅から 2km少々。
源頼朝の 蛭ヶ小島や 政子の屋敷跡(何もありませんが)を巡ろうと レンタサイクルを借りました。
伊豆長岡駅で 貸してくれます。
500円 と 安いです。
伊豆長岡は 平成の大合併で 伊豆の国市 になっています。
韮山反射炉は 「明治日本の産業革命遺産」という名前で 主に 九州 山口県から 離れた 伊豆の国市 にあります。
一番遠いのは 釜石市です。
踏切を渡って ほぼ まっすぐの 道。
わかりやすいところに ありました。
緑色の人は ボランティアガイドさんです。
6人では とても手が足りないそうです。
世界遺産に 決定してから ものすごい数の 観光バスが 押し寄せて 週末は 駐車場も足りないくらいですって。
こちらは 若い頃 お邪魔したのですが その頃は 人は いませんでした。
今回は すでにスタートしているボランティアガイドさんのグループに 入れてもらいました。
ふいごの穴と 灰を書き出す穴です。
屋根に穴が開いていて こちらから 材料などを 入れるそうです。
だいぶ旧式です。
この写真の左側が 幕府の代官 江川氏が 建てたもので 右側は 鍋島藩が建てたものだそうです。
鍋島藩が 1840年の アヘン戦争の結果を 幕府に知らせ 蘭学に通じた官僚によって 西洋から技術を導入して この反射炉を 1857年に 竣工したのだそうです。
反射炉とは 炎と熱を 天井で反射させて より高い熱 鉄を溶かす千数百度の高温を実現する仕組みの炉のことだそうです。
当初 伊豆下田に 反射炉を造られる予定でしたが、1854年 ペリー艦隊が 下田に寄港して、米兵が 敷地内に浸入したため、急遽 変更して こちら 韮山に 建設されることになりました。
江川英龍は 途中死去して、息子の 江川英敏氏が 完成させました。
このような感じで 反射炉は メインですが、面積割合は 小さいです。
説明によると、水車を利用して 大砲の砲身に 穴を開けたそうです。その作業に 90日も要して 出来上がりまでには 大変です。更には 石見地方からの原料の砂鉄が 質が悪く 歩留まり48%と 大変低かったそうです。
そんな具合で 稼働期間は 短く できた大砲も 100門に満たなかったそうです。
そんな訳で 稼働期間より 放置されている期間が とても長いのです。
しかし、他の地方の 例えば 薩摩藩 長州藩の反射炉は これほど見事に残っていないのです。
この 韮山反射炉も 3回も 解体の憂き目に遭うことに なったそうですが その度に 保存する救世主が 現れたそうです。
維持するのは 大変なんですね。
鉄骨が 気になって お聞きしました。
やはり 昭和の時代に 修理補強されたものでした。
さて、
地図に 気になる場所が 。
富士山と反射炉が 一緒に写せる展望台!
それが どこにあるのか 駐車場の係の人に お聞きしました。
お土産屋さんの建物の 右側の ほんのちょっと登り 茶畑のところです。
「5分くらい 」と言われましたが、そんなにかかりません。
富士山の方角に 雲が見えるので あまり期待していませんでしたが、
雲の上に 富士山 見えました!
ご褒美です。
誰も上がって来ませんでした。
駐車場の係の人に お礼すると 一緒に 喜んでくれました。
到着した時 見学前に お聞きした人が 覚えていただいていて 寄って来て 喜んでくれました。
江川英敏氏の像が ありました。
写真の男性は 知らない人です。
記念撮影が 途切れないので 止むを得ず です。
では
伊豆の旅 「修善寺 虹の郷 」06 伊豆の村 (最終回)
伊豆の村 ゾーンです。
飲食店 お土産屋さんが 並びます。
「三十六 」と看板のお店
こちらは 「串屋」と いうお名前だそうです。9 × 4 → 36 という訳です。
誰も突っ込まないので 饒舌なご主人 いろいろお話ししてくれます。
「鮎の甘露煮」100円!
100円! とは 1匹の値段 安いです。
しかも 1匹が 小さいと おまけしてくれます。「何匹 とは言わないで、500円分 と言って!」とは その意味なのです。
某有名人が 年に一度大量注文するそうです。その時は 立派な包装するそうですが。
美味しそうです。
頭まで食べられます。冷凍庫に入れれば いつまでも保つそうです。
鮎の塩焼き 300円! こちらも 安いです。
もずくがに こちらは 値段が 付いていません。持ち帰るのは 大変そうです。
カニ汁を ごちそうしていただきました。
美味しい!
親父さん 日本人だけに 強いかと
思いきや 中国人にも 気さくに話していました。
親父さんに会いに また来たいです。
階段を登れば イギリス村です。
このバスは 日本庭園方面との間の 連絡バスです。
名残惜しいですが、虹の郷 さようなら。